改訂新版 世界大百科事典 「グントラム」の意味・わかりやすい解説
グントラム
Guntram
生没年:525ころ-593
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…東分国では,王ジギベルト1世(在位561‐575)が西分国側の手で謀殺されると(575),貴族勢力が台頭し,指導権を掌握した。しかし,ブルグント分国王グントラム(在位561‐593)が兄弟諸王の死により,彼らの遺児の後見人となり,同朝の危機,すなわち東分国貴族が支援する,前王クロタール1世の庶子グンドバルドのクーデタを切り抜け(584),同時に貴族勢力の制圧にも成功した。グントラムは東分国王ヒルデベルト2世(在位575‐595)および母后ブルンヒルデと,ヒルデベルト2世をみずからの相続人と定めるアンデロー協約を結び(587),ブルグントのローマ的基盤に立つ中央集権的政策を展開した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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