百科事典マイペディア 「ケーニヒグレーツの戦」の意味・わかりやすい解説
ケーニヒグレーツの戦【ケーニヒグレーツのたたかい】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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…正式名称=オーストリア共和国Republik Österreich面積=8万3858km2人口(1996)=810万人首都=ウィーンWien(日本との時差=-8時間)主要言語=ドイツ語通貨=オーストリア・シリングAustrian Schillingオーストリアという呼称は英語名で,ドイツ語では,エスターライヒÖsterreich。〈東の国〉を意味するが,国土は,ヨーロッパの中央部を占め,ドイツはもとより,フランス,イタリアとも深くかかわりあい,ヨーロッパ史上,重要な位置を占めてきた。…
…ドイツ統一をめぐるプロイセンとオーストリアとの戦争。プロイセン・オーストリア戦争ともよばれる。ドイツでは1860年になお,35の君主国と4自由市に分裂しており,ドイツ統一への要求は切迫したものとなっていた。このドイツ統一の覇権争奪をめぐり普墺両国の対立も深化していた。プロイセン首相ビスマルクは,イタリアとの同盟を結び,フランス・ロシアの介入を阻止しつつ,オーストリアを戦争へと追い込んだ(1866年6月)。…
…1225年には国王都市となり,1653年には司教座がおかれた。1866年の普墺戦争ではこの町の北方で決定的な戦闘,いわゆる〈ケーニヒグレーツの戦〉が行われた。【稲野 強】。…
※「ケーニヒグレーツの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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