改訂新版 世界大百科事典 「コスチョンキ遺跡群」の意味・わかりやすい解説
コスチョンキ遺跡群 (コスチョンキいせきぐん)
Kostyonki
ロシア連邦南西部ドン川右岸,ボロネジ市の南40kmにあるコスチョンキ村および同市隣接地域に存在する後期旧石器遺跡群。コスチェンキ,コステンキとも呼ぶ。ドン川に注ぐ小支谷入口に形成された岬状台地の先端部に位置する。文化層は上部更新世の砂質粘土層中に包含され,遺跡のうちには何枚もの文化層をもつ多層位の遺跡がある。コスチョンキⅠ,アレクサンドロフ,テリマンスク,ボルシェボⅠの多層位遺跡はヨーロッパの旧石器遺跡の中でも卓越した内容をもっている。遺跡群のなかでコスチョンキⅠがもっとも早く1879年にI.S.ポリャコフにより発見された。次いで2番目の遺跡が1905年にA.A.スピツィンにより,以後S.N.ザミャトニン,P.P.エフィメンコ,A.N.ロガチェフ,P.I.ボリスコフスキーらによって多くの遺跡が発見されていった。このコスチョンキ・ボルシェボ地区の8km2内には23ヵ所の遺跡が存在し,そのうちの9遺跡が多層位の遺跡である。このうちの良好な文化層をもつ若干の遺跡には,地面に浅く掘り込んだ大型住居址が発見され,その住居址の中央部には一群の炉穴があり,燃料として利用された炭化した骨が入っていた。コスチョンキⅣやⅧ遺跡で発見された小型住居址は集団をなし,コスチョンキⅨ遺跡では,破壊された大型円形(径9m)の住居址が発見され,そこにはマンモスの扁平骨や管状骨を利用した構造体が残されていた。この遺跡群からは多量の石器,骨角器とともに,マンモス牙製ないし石製の女性像や動物像が発見されている。最近では埋葬墓も見いだされ,石器,骨器と穿孔された歯牙製装身具をもち,東ヨーロッパ平原の後期旧石器遺跡のうちではもっとも古い唯一の例である。遺跡群は,前・中・後期の3期に区分され,その後期は東・中央ヨーロッパのパブロフ文化(グラベット文化)と共通する要素をもっている。
執筆者:加藤 晋平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報