コプト暦(読み)コプトれき

改訂新版 世界大百科事典 「コプト暦」の意味・わかりやすい解説

コプト暦 (コプトれき)

古代エジプトに起源をもつ太陽暦。古代エジプトの伝統により,1年(ティロムピ)は各30日から成る12の月(アボト)に追加日(エパゴメネ)の5日(閏年は6日)を足した365(366)日が用いられた。各月の名称はほぼ表のようであった。

 コプト語文書の年代記載に最もよく用いられるのはディオクレティアヌス暦(ディオクレティアヌス帝の迫害で多くの殉教者がでたことを記念し,帝の即位した西暦284年を紀元とするもの)で,殉教紀元(クロノス・マルテュロン)とも呼ばれる。ほかにディオクレティアヌス帝時代に制定された15年ごとのインディクティオン(徴税周期)で記載されることもあり,のちにはヒジュラ暦(サラケーノーン)も用いられるようになった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコプト暦の言及

【コプト】より

…伝説では紀元40年代に福音書記者のマルコがアレクサンドリアで布教したのが最初だとなっているが,実際にエジプトのキリスト教化が進むのは,だいたい2~3世紀で,その間に聖書のコプト語訳もなされた。 ローマ帝国は最初キリスト教に対して迫害を加えたが,エジプトも例外でなく,ディオクレティアヌス帝(在位284‐305)のとき,激しい迫害が行われ,のちこれを記念して,この皇帝が即位した284年を元年とするコプト暦を定めた。これはエジプトの農業に有用な古代以来の太陽暦を受け継ぐものであった。…

【暦】より

…一方,農事や地租の徴収,あるいはエジプトの〈春風をかぐ祭Shamm al‐nasīm〉やイランの〈春分の祭〉に代表される土着の祭礼は各地に固有な太陽暦に基づいて行われた。例えばエジプトではナイルが増水する8月末を年初とするコプト暦が使われ,シリアでは雨が降り始め種まきが始まる秋を年初とするシリア暦が,またイランでは春分(ノウルーズ)を年初とするペルシア暦が用いられてきた。現在でも,ヨーロッパ化にふみきったトルコ共和国を別とすれば,ヒジュラ暦と古来の太陽暦,それにヨーロッパから伝えられたグレゴリオ暦を併用する地域が少なくない。…

※「コプト暦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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