1年の日数を1太陽年にできるだけ一致するように作られた暦。現在,世界中で一般に用いられているグレゴリオ暦は太陽暦である。太陽年は,太陽がその軌道上を一周する時間で回帰年とも呼ばれるように,地球上の季節はこの周期で繰り返される。したがって日常生活には太陽暦が便利である。エジプトではその歴史が始まって以来太陽暦が用いられ,ローマではユリウス・カエサルによって前46年に太陽暦が採用された。1太陽年の値は365.2422日であり,日の整数倍ではなく端数がつく。この端数の処理が問題となる。エジプトでは端数を無視して1年を1ヵ月30日の12ヵ月と5日の余日をおいて1年を365日としていた。カエサルの制定したユリウス暦では平年を365日,4年に一度の閏(うるう)年を366日として1年の平均を365.25日とした。グレゴリオ暦ではさらに太陽年に近づけるため400年に三度閏年を省いて調節した。日本では1873年(明治6)から太陽暦が採用されたが,一部の人たちにはそれ以前にも太陽暦は知られていた。古くは戦国時代の末ころよりキリシタンの人々に利用されていたが,江戸時代の本多利明は太陽暦の便利さを説いているし,同じころ,中井履軒や山片蟠桃は太陽暦の見本を作っていた。1795年には太陽暦の1月1日に蘭方医大槻玄沢によってオランダ正月が祝われた。安政の初めころ,天文方渋川景佑によって日本最初の本格的太陽暦《万国普通暦》が刊行された。
執筆者:内田 正男
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季節を調節してゆくため一太陽年だけを基本用数として日を数える暦法。生活に密接に関係する季節は太陽が天球の赤道の南にあるか北にあるか、いいかえればいつ春分点に再帰するかによって決まるから、太陽年(回帰年)の長さ365.242199日は太陽暦の基本周期である。太陽暦の起源はエジプトにあり、この暦法に属するものにエジプト暦、ペルシア暦、ユリウス暦、フランス共和暦などがあり、今日世界各国で広く採用しているグレゴリオ暦は置閏(ちじゅん)法も簡単で、1万年に3日の差違を生ずるにすぎない優れた太陽暦であるが、欠点もあって種々の改良案が提出された。「世界暦」はその一つである。日本では1873年(明治6)から、それまでの太陰太陽暦にかわって太陽暦のグレゴリオ暦を採用し、新暦と称している。
[渡辺敏夫]
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太陽の運行,じつは地球の公転をもとに組み立てられた暦法。1太陽年(回帰年)は約365.2422日なので,1暦年を365日とし,4年に1度閏日を設けて調整する。ユリウス・カエサルの制定したユリウス暦を改良したグレゴリオ暦が代表的太陽暦で,広く世界的に用いられる。日本では1873年(明治6)から採用されている。
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…そしてそのような思想は《万葉集》にも受け継がれているとし,〈ひさかたの天(あま)のかぐ山,此ゆふべ霞たなびく春たつらしも〉〈うちなびく春たちぬらし,わが門の柳のうれに鶯なきつ〉その他をあげている。さらに宣長は,日本では中国から暦法が入ってくる前は太陽暦思想があったとして,〈かの空なる月による月(朔望月のこと)と年の来経(きへ)とを,しひてひとつに合はすわざ(太陰太陽暦のこと)などもなくて,ただ天地のあるがまゝにてなむありける〉といっている。中国の3世紀のころの書である《魏志倭人伝》にはすでに日本では稲作をしていた記事があり,5世紀ころ加えられた補注には〈其俗正歳四時を知らず,但春耕秋収を記して年紀となす〉とある。…
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