改訂新版 世界大百科事典 の解説
コンスタンティノス[11世]
Kōnstantinos ⅩⅠ
生没年:1404-53
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…ただ一行中には少なからざるビザンティン文人が含まれており,フィレンツェの人文主義者たちの熱狂的歓迎を受け,その持参したギリシア古典の手写本と相まって,西方の文芸復興を促進させる結果となった。 1440年2月皇帝一行はコンスタンティノープルに戻ったが,すでにエフェソス府主教マルコス・エウゲニコスはフィレンツェで決議の署名を拒否し,続いて統一の推進者ベッサリオン(ニカエア府主教),イシドール(モスクワ府主教)が枢機卿としてコンスタンティノープルを去るなかで,統一反対の空気は高まり,決議の国内での実現に踏み切れないままにヨハネス8世は世を去り(1448),続いて皇帝となった弟のコンスタンティノス11世が,すでに始まったオスマン帝国スルタン,メフメト2世のコンスタンティノープル包囲のもとで,1452年12月ハギア・ソフィア教会における元老院,市民参加の典礼の後,ようやく統一決議の実施を宣言することができた。しかし,その結果ビザンティン人の反ラテン感は高まる一方で,彼らは自分たちの伝統的宗教心情を最後まで譲らず,トルコ支配下でもそれを守った。…
※「コンスタンティノス11世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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