サイパンの戦い

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サイパンの戦い

戦前国際連盟委任統治を経て事実上の日本領だったサイパン島に1944年6月15日、米軍上陸。日本軍の組織的戦闘は7月7日の総攻撃で終わり、サイパンは米軍の日本本土空襲の拠点となった。「絶対国防圏」を突破された日本の敗戦は決定的となり、東条英機とうじょう・ひでき内閣は7月18日にサイパン玉砕を発表して総辞職。日本軍は約3万人、米軍は約3300人が戦死。日本の民間人も1万人前後が死亡したとされ、島北端の崖から身を投じるなど自決した人も多かった。(サイパン共同)

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