改訂新版 世界大百科事典 「サトゥクボグラハーン」の意味・わかりやすい解説
サトゥク・ボグラ・ハーン
Satuq Boghra Khān
生没年:?-955
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…O.プリツァクの説によると,840年ウイグル王国が崩壊すると,その支配下にあったカルルク部族連合体が独立,チュー河畔のベラサグンを本拠に新王朝を開いたとされる。サトゥク・ボグラ・ハーンの時代に初めてイスラムを受容し,続くムーサーの時代に当たる960年には20万帳に上る遊牧トルコ人がイスラム化したという。以後の諸ハーンは東トルキスタンのホータン,クチャなどの仏教圏に聖戦(ジハード)を敢行するかたわら,999年にはブハラを占領してサーマーン朝を滅ぼし,マー・ワラー・アンナフルのトルコ化を促進した。…
※「サトゥクボグラハーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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