日本大百科全書(ニッポニカ) 「サムエ寺」の意味・わかりやすい解説
サムエ寺
さむえじ
bsam-yas
中国、チベット自治区の区府ラサ市の南東ヤルルン地方にある寺。正しくはペル・サムエ・ミンギュル・フンドゥプ・フクラカンという。インドのオーダンタプリ寺を模して775~779年に建立。このころのチベットは仏教興隆の気運に向かい、インド、中国から高僧が入国し、宗義上の論難も激しくなってきたが、チソンデツェン王は同寺にインド僧カマラシーラ、中国僧摩訶衍(まかえん)を招いて宗論を行わせ、以後のチベット仏教の流れを位置づけたことは有名。また同寺でチベットで初の出家者6人の授戒、仏典のチベット語訳が多く行われた。寺全体が仏教世界観を表し、3層の本堂は須弥山(しゅみせん)、四洲(ししゅう)八小洲・日月の御堂(みどう)を配置して建てられたが、現在もその跡をとどめている。
[金岡秀友]