ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンクム」の意味・わかりやすい解説
サンクム
Sangkum Reastr Niyum
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…特にベトナム,ラオスからの戦火を食い止めるため,東南アジア条約機構(SEATO)への不参加表明,中国訪問(ともに1956),中立宣言法制定(1957),文書交換による中立保障の提案(1962),現国境線承認の要請(1967)など,中立政策が模索された。 一方,内政では国民の総意が反映できる新体制として,人民社会主義共同体(略称サンクム)が1955年に結成され,退位したシアヌークがその総裁に就任した。サンクムは王制,独立,仏教を基軸に王制社会主義をめざす新国民運動であった。…
…狭義にはカンボジア共産党を指す。ベトミン系のクメール抵抗派の流れをくむ人民党は,その一部が1960年結成のサンクム(人民社会主義共同体)に参画し,サンクム左派を形成したが,サンクムを指導するシアヌークに弾圧され,67年から地下活動に入った。70年にロンノルによるクーデタでシアヌークが解任されると,直ちにシアヌークと結んでカンプチア民族統一戦線を結成し,国内闘争を展開,75年に首都プノンペンに入城した。…
…フランスからの独立を勝ち取るために先頭に立ち,国民から敬愛された。53年に独立した後,55年王位を父に譲位し,人民社会主義共同体(サンクム)を設立して総裁に就任,王制社会主義と中立政策を掲げ,現実直視の内政・外交で東西両陣営から援助を引き出し,国内建設に力をいれた。60年父王が死去してからは王位を空席にして国家元首に就任し,国政の牽引車的役割を果たした。…
※「サンクム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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