コーマン
こーまん
Roger William Corman
(1926―2024)
アメリカの映画監督、プロデューサー。デトロイト生まれ。スタンフォード大学で工学を専攻するも第二次世界大戦中は海軍に従軍、終戦後卒業。その後エンジニアとなるがすぐに辞め、1948年映画界入りを目ざして20世紀フォックス社(現、20世紀スタジオ社)のメッセンジャーボーイとなる。同社でストーリー・アナリスト(映画化予定の脚本を最初に読んでシノプシスと評価を作成する係)を1年務め、1950年渡英、オックスフォード大学で英文学を学ぶ。パリ滞在を経て翌年帰国。著作権代理人を営むかたわら執筆した脚本が売れ、『ハイウェイ捜査網』Highway Dragnet(1954)として映画化され、プロデューサーも務める。同時に自身の制作会社を設立し、低予算の怪奇映画を製作。これをきっかけにアメリカン・リリーシング・コーポレーション(後のアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ:AIP)と契約を結ぶことになる。
1955年、レッド・パージで不遇の身であった名カメラマン、フロイド・クロスビーFloyd Crosby(1899―1985)を起用して『あらくれ五人拳銃(けんじゅう)』で監督デビュー。以後、SF映画や青春映画を中心に、あらゆるジャンルの映画を数多く製作、「B級映画(おもに2本立て興行の添え物として低予算、早撮りで製作された映画)の王」と称される。その人気は、主としてドライブイン・シアターでデートするティーンエイジャーたちによって支えられていた。2日で撮ったという『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960)のような作品でもかならずヒットさせるのが信条で、『機関銃(マシンガン)ケリー』(1958)では1930年代に流行したギャング映画を復活させた。とりわけ人気を集めたのが『アッシャー家の惨劇』(1960)に始まるエドガー・アラン・ポー原作のシリーズで、しだいにカルト的名声を獲得。一方で、南部の町の人種偏見を告発した『侵入者』(1962)のような問題作も監督した。やがて彼の作品は1960年代の「異議申立て」の風潮を象徴するものとみなされるようになり、暴走族を登場させた『ワイルド・エンジェル』(1966)、LSD体験を視覚化した『白昼の幻想』(1967)など、一作ごとに物議を醸(かも)した。
1970年にはAIPから独立してニュー・ワールド・ピクチャーズを設立。その後はプロデューサー業に専念し、ベルイマンやフェリーニ、黒澤明といった海外の芸術映画の輸入配給にも力を入れた。1984年、制作会社としてニュー・ホライズンズ・カンパニーを設立。翌年にはその配給部門コンコードを設立した。
時代に迎合した軽薄な映画人と映りかねないコーマンは、実のところ、B級映画が歴史的に果たしてきた機能がしだいにテレビへと移行していくなかにあって、あえて映画の側にとどまり続ける反時代的な精神の持ち主でもあった。コーマンの撮影現場は映画を志す青年のための学校としても知られ、フランシス・コッポラ、モンテ・ヘルマンMonte Hellman(1929―2021)、ピーター・ボグダノビッチPeter Bogdanovich(1939―2022)、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソンといった多くの逸材がそこから巣立っていった。そのほかの監督作に『原子怪獣と裸女』(1955)、『金星人地球を征服』(1956)、『忍者と悪女』(1963)、『赤死病の仮面』(1964)、『聖バレンタインの虐殺 マシンガン・シティ』(1967)、『血まみれギャングママ』(1970)、『フランケンシュタイン 禁断の時空』(1990)などがあり、プロデュースした映画だけでも優に100本を超える。
[藤井仁子]
ファイブ・ガン あらくれ五人拳銃 Five Guns West(1955)
荒野の待伏せ Apache Woman(1955)
女囚大脱走 Swamp Women(1955)
百万の眼を持つ刺客 The Beast with a Million Eyes(1955)
原子怪獣と裸女 Day the World Ended(1955)
悪魔と魔女の世界 The Undead(1956)
金星人地球を征服 It Conquered the World(1956)
早射ち女拳銃 Gunslinger(1956)
ごろつき酒場 Rock All Night(1957)
巨大カニ怪獣の襲撃 Attack of the Crab Monsters(1957)
鮫の呪い She Gods of Shark Reef(1957)
女バイキングと大海獣 The Saga of the Viking Women and Their Voyage to the Waters of the Great Sea Serpent(1957)
暗黒街の掟 I Mobster(1958)
機関銃ケリー Machine-Gun Kelly(1958)
恐怖の獣人 Teenage Cave Man(1958)
X星から来た吸血獣 Night of the Blood Beast(1958)
魔の谷 Beast from Haunted Cave(1959)
血のバケツ A Bucket of Blood(1959)
蜂女の実験室 The Wasp Woman(1959)
アッシャー家の惨劇 House of Usher(1960)
リトル・ショップ・オブ・ホラーズ The Little Shop of Horrors(1960)
地球最後の女 アイ・アム・ウーマン・オブ・レジェンド Last Woman on Earth(1960)
恐怖の振子 Pit and the Pendulum(1961)
姦婦の生き埋葬 Premature Burial(1962)
恐怖のロンドン塔 Tower of London(1962)
黒猫の怨霊 Tales of Terror(1962)
侵入者 The Intruder(1962)
ヤングレーサー The Young Racers(1963)
忍者と悪女 The Raven(1963)
古城の亡霊 The Terror(1963)
X線の眼を持つ男 X: The Man with X-Ray Eyes(1963)
怪談呪いの霊魂 The Haunted Palace(1963)
黒猫の棲む館 The Tomb of Ligeia(1964)
侵略戦線 The Secret Invasion(1964)
赤死病の仮面 The Masque of the Red Death(1964)
原始惑星への旅 Voyage to the Prehistoric Planet(1965)
ワイルド・エンジェル The Wild Angels(1966)
聖バレンタインの虐殺 マシンガン・シティ The St. Valentine's Day Massacre(1967)
白昼の幻想 The Trip(1967)
ターゲット・ハリー Target: Harry(1968)
血まみれギャングママ Bloody Mama(1970)
ガス! Gas! -Or- It Became Necessary to Destroy the World in Order to Save It.(1970)
レッド・バロン Von Richthofen and Brown(1971)
フランケンシュタイン 禁断の時空 Frankenstein Unbound(1990)
『ロジャー・コーマン、ジム・ジェローム著、石上三登志他訳『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか――ロジャー・コーマン自伝』(1992・早川書房)』▽『上島春彦・遠山純生著『60年代アメリカ映画』(2001・エスクァイア マガジン ジャパン)』
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コーマン
Roger Corman
生没年:1926-
1950年代の〈B級映画の王者〉,60年代のアメリカ怪奇映画の第一人者として知られる映画監督。また,60年代半ばから70年代にかけてフランシス・フォード・コッポラ,ピーター・ボグダノビッチ,マーティン・スコセーシ,モンテ・ヘルマン,アービン・カーシュナーらの監督,ジャック・ニコルソン,ピーター・フォンダらの俳優といった才能にデビューの機会を与え,〈《イージー・ライダー》以後のアメリカン・シネマの陰の母胎〉となったプロデューサーでもある。デトロイト(一説にはシカゴ)生れ。監督としては,1955年から71年までに47本もの作品があり,とくに最初の5年間には25本のB級映画(ときには〈B〉よりはるか下という意味で〈Zフィルム〉と呼ばれることもある低額予算の映画)を撮り,西部劇,ギャング映画,SF映画,怪奇映画,戦争映画,ロックンロール映画,オートバイ映画,幻覚剤(ドラッグ)映画など,マイナーなジャンルはほとんどすべて手がけた。なかでも高く評価されているのは《アッシャー家の惨劇》(1960)から《姦婦の生き埋葬》(1962。原作は《早過ぎた埋葬》),《忍者と悪女》(1963。原作は《大鴉》)などを経て《リジアの墓》(1965)に至る〈アメリカン・ゴシック・メロドラマ〉とも呼ばれる8本のエドガー・アラン・ポー原作のシリーズで,8本とも主演はビンセント・プライス。撮影は,イベンスやフラハティらドキュメンタリー映画作家のカメラマンとして出発し,《真昼の決闘》(1952)以後ハリウッドの〈赤狩り〉の非公式ブラック・リストに加えられていた名手フロイド・クロスビーが担当した。ほかに,南部の人種偏見問題を扱った《闖入者》(1961)も評価が高い。監督作のほとんどをみずからプロデュースしているが,そのほかに100本以上のプロデュース作品がある。1971年の《レッド・バロン》以降は監督業を引退し,プロデューサーに専念。1970年代以降,イングマール・ベルイマン,フランソア・トリュフォー,フェデリコ・フェリーニらヨーロッパの映画作家の作品のアメリカへの輸入・配給にも力を注いでいる。
執筆者:宇田川 幸洋
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コーマン
米国の映画監督,プロデューサー。デトロイト生れ。スタンフォード大,オックスフォード大で学ぶ。脚本家をへて西部劇《あらくれ五人拳銃》(1955年)で監督デビューし,低予算の娯楽作品を量産。E.A.ポー原作の《アッシャー家の惨劇》(1960年)で映画作家として注目され,《リトル・ショップ・オブ・ホラーズ》(1960年),《恐怖の振子》(1961年),《ジャック・ニコルソンの古城の亡霊》(1963年),《赤死病の仮面》(1964年)などのホラー作品を手がけて〈B級映画の帝王〉と称された。プロデューサーとしても活動し,P.ボグダノビッチ,フランシス・コッポラ,J.デミ,J.キャメロンらを育てた。《レッド・バロン》(1971年)以降はプロデューサーに専念していたが,1990年に《フランケンシュタイン 禁断の時空》を発表した。
→関連項目ローグ
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世界大百科事典(旧版)内のコーマンの言及
【B級映画】より
… 独占禁止法による製作部門と配給部門の分離,テレビジョンの興隆によって〈2本立て〉が終わりを告げるとともにB級映画も衰退して50年代半ばには姿を消したが(テレビのシリーズものに姿を変えたともみなされよう),モノグラムから派生したアライド・アーチスツやアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)でさらに新しい〈低額予算映画〉が製作されつづけた。とくに,その後のAIPにおける製作者,監督としてのロジャー・コーマンRoger Corman(1926‐ )の活躍はめざましく,監督として《アッシャー家の惨劇》(1960),《忍者と悪女》(1963)など〈エドガー・アラン・ポーもの〉の連作をはじめ数々の怪奇映画やアクション映画をつくるとともに,プロデューサーとして〈低額予算映画〉を条件とすることにより,モンテ・ヘルマン,ダニエル・ホラー,フランシス・コッポラ,ピーター・ボグダノビッチ,デニス・ホッパー,マーティン・スコセッシなど新しい世代の〈映画作家〉を育てハリウッドに送った功績は大きい。 アメリカのB級映画は,フランスで,とくに戦後の〈ヌーベル・バーグ〉の一派によって高く評価され,ジャン・リュック・ゴダールは最初の長編《[勝手にしやがれ]》(1959)を,〈バワリー・ボーイズ〉主演の非行少年ものからベラ・ルゴシ主演の怪奇映画,東洋人の名探偵《チャーリー・チャン》シリーズなどに至るまで,1940年代に年間30本以上も量産しつづけたB級映画会社モノグラムにささげていることはよく知られている。…
【SF映画】より
…事実,ハマー・プロは,50年代後半から《ドラキュラ》《フランケンシュタイン》などの怪奇映画路線に活路を見いだすことになる。ほかにも,怪奇ともナンセンスともつかぬ作品は無数にあり,核爆発によって文明が滅びた後に生き残った数人(この設定も低予算SFに多く,いまだに作られている)の中に,ギャングが1人,ストリッパーが1人いて,彼らが三つ目の食人ミュータントに襲われるという,ロジャー・コーマン(1926‐ )監督の《原子怪獣と裸女》(1956)のような珍品も現れ,“Z”movie,“Z”trash(B級ならぬ〈Z級映画〉,これ以下はないという〈最低のがらくた〉)と呼ばれるに至った。こうしたピンからキリまでのSFラッシュの中で,ハリウッドの名門というべきMGMが,初めてSFに手を染め,シェークスピアの《テンペスト》を宇宙物に翻案した大作,F.M.ウィルコックス(1905‐64)監督の《禁断の惑星》(1956)を製作。…
【怪奇映画】より
…いずれにしても,怪奇映画は50年代のSF映画の台頭につれて影を潜めるが,これは,放射能や科学実験による突然変異としての生物の巨大化(《放射能X》1953,《ハエ男の恐怖》1958,など)や,人間が縮小したため相対的に生物の巨大化と同じパニックに陥る(《縮みゆく人間》1957)といった設定で,つまりはSFがモンスターの肩代りをしたともいえる。
[1960年代以降]
60年代は,毒々しい色彩効果によるエロティシズムとサディズムを加味したイギリスの[ハマー・プロ]作品(テレンス・フィッシャー監督,クリストファー・リー,ピーター・カッシング主演《吸血鬼ドラキュラ》1958,等々)と,一連の〈エドガー・アラン・ポー物〉によって,異常心理がらみの幻想劇という独自のイメージを繰り広げたアメリカのAIP作品(ロジャー・コーマン監督,ビンセント・プライス主演《アッシャー家の惨劇》1960,等々)が活況を呈する一方,フランスではジョルジュ・フランジュ監督《顔のない眼》(1960),ロジェ・バディム監督《血とバラ》(1960)といったポエティックな怪奇幻想の心理劇がつくられたが,もっとも注目すべきはヒッチコックの《[サイコ]》(1960)という真にエポックを画する恐怖映画が生まれたことで,以後の怪奇,SF,恐怖映画のジャンルは,すべて〈サイコ以後〉の名でくくることも可能なくらい決定的に《サイコ》の,ヒッチコックの影響を受けることになる。ウィリアム・キャッスル監督《第三の犯罪》(1961),《血だらけの惨劇》(1964),ロバート・アルドリッチ監督《何がジェーンに起ったか?》(1962)から1970‐80年代の〈モダン・ホラー・ムービー〉(怪奇的なムードで話を運び,結末のどんでん返しを利かせたものが多い)に至るまで,そうである。…
【B級映画】より
… 独占禁止法による製作部門と配給部門の分離,テレビジョンの興隆によって〈2本立て〉が終わりを告げるとともにB級映画も衰退して50年代半ばには姿を消したが(テレビのシリーズものに姿を変えたともみなされよう),モノグラムから派生したアライド・アーチスツやアメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(AIP)でさらに新しい〈低額予算映画〉が製作されつづけた。とくに,その後のAIPにおける製作者,監督としてのロジャー・コーマンRoger Corman(1926‐ )の活躍はめざましく,監督として《アッシャー家の惨劇》(1960),《忍者と悪女》(1963)など〈エドガー・アラン・ポーもの〉の連作をはじめ数々の怪奇映画やアクション映画をつくるとともに,プロデューサーとして〈低額予算映画〉を条件とすることにより,モンテ・ヘルマン,ダニエル・ホラー,フランシス・コッポラ,ピーター・ボグダノビッチ,デニス・ホッパー,マーティン・スコセッシなど新しい世代の〈映画作家〉を育てハリウッドに送った功績は大きい。 アメリカのB級映画は,フランスで,とくに戦後の〈ヌーベル・バーグ〉の一派によって高く評価され,ジャン・リュック・ゴダールは最初の長編《[勝手にしやがれ]》(1959)を,〈バワリー・ボーイズ〉主演の非行少年ものからベラ・ルゴシ主演の怪奇映画,東洋人の名探偵《チャーリー・チャン》シリーズなどに至るまで,1940年代に年間30本以上も量産しつづけたB級映画会社モノグラムにささげていることはよく知られている。…
【ベルイマン】より
…《不良少女モニカ》(1952)で世界的に知られ,《夏の夜は三たび微笑む》(1955)で名声を決定的なものにする。以後,《第七の封印》《野いちご》(ともに1957),《処女の泉》(1960),《仮面/ペルソナ》(1966),《狼の時間》(1968),《夜の儀式》(1969)等々と次々に問題作を発表して〈アート・シアターの巨匠〉となるが,73年のカラー作品《叫びとささやき》が世界的にヒットして(アメリカでは怪奇映画の巨匠として知られるロジャー・コーマンの手で配給された),その〈芸術性〉にも興行価値が認められた。《沈黙》の姉妹を演じたイングリット・チューリンとグンネル・リンドブロムをはじめ,ハリエット・アンデルソン,ビビ・アンデルソン,リブ・ウルマンといった女優たちの〈肉体的演技〉に支えられたその大胆なエロティシズム,すさまじい性描写によっても一時代を画した。…
※「コーマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」