日本大百科全書(ニッポニカ) 「シアヌーク」の意味・わかりやすい解説
シアヌーク
しあぬーく
Norodom Sihanouk
(1922―2012)
カンボジアの王族政治家。1941年国王に即位。1945年日本占領下で独立宣言、1949年フランス連合内の独立、1953年完全独立を達成。1955年父スラマリットNorodom Suramarit(1896―1960)に王位を譲り、自らは人民社会主義共同体を結成、事実上の一党支配体制を確立した。1960年父王の死去に伴い国家元首に就任、対内的には「仏教社会主義」、対外的には非同盟路線を推進した。1970年3月外遊中にロン・ノルLon Nol(1913―1985)首相ら右派勢力のクーデターで失脚。同年5月亡命先の北京(ペキン)で左派「クメール・ルージュ」を含むカンボジア王国民族連合政府を樹立、南ベトナム解放民族戦線、ラオス愛国戦線などインドシナ解放勢力とも連携するに至る。1975年4月のプノンペン解放をみて9月帰国。1976年4月「クメール・ルージュ」の独裁強化に伴い国家元首を辞し、事実上の幽閉生活に入る。1979年1月ベトナム軍のプノンペン制圧直前に北京へ脱出、中国・北朝鮮を拠点に反ベトナム・キャンペーンを展開した。1982年7月11日ASEAN(アセアン)諸国や中国の後援を得て、「クメール・ルージュ」を含む反ベトナム三派による民主カンボジア連合政府を樹立、大統領に就任。反ベトナム三派のなかでは軍事的には最小の勢力であったが、王族指導者としてのカリスマ的人気は根強かった。しかし、健康上の理由から平壌(ピョンヤン)や北京での滞在期間が長くなった。1993年、立憲君主制のもとで国王に就任。1997年7月の政変で子息のラナリットNorodom Ranariddh(1944―2021)前第一首相が失脚。6人の王妃との間に14人の子供をもうけたが、7人が死去、3人が国外追放(脱出)となり、王政の存続の危機もささやかれた。2004年、国王の座を子息のシハモニNorodom Sihamoniに譲り、退位。
[黒柳米司]
『友田錫・青山保訳『シアヌーク回想録――戦争……そして希望』(1980・中央公論社)』▽『ミルトン・オズボーン著、小倉貞男訳『シハヌーク 悲劇のカンボジア現代史』(1996・岩波書店)』