改訂新版 世界大百科事典 の解説
サント・ジュヌビエーブ修道院 (サントジュヌビエーブしゅうどういん)
Abbaye de Sainte-Geneviève
パリのセーヌ川左岸,現在アンリ4世高等中学校(リセ)のある付近に6世紀に建てられた修道院。451年アッティラの率いるフン族の攻撃からパリを救ったことでパリの守護聖女とされたジュヌビエーブに奉献された。付近一帯はこの修道院名にちなんでいまも〈サント・ジュヌビエーブの丘〉と呼ばれている。一時衰微するが,11世紀に聖堂参事会の手で復興し,12世紀初頭からは学問の重要な中心となり,特にアベラールがここで教鞭をとってから多くの学生が集まるようになり,そのなかからソールズベリーのヨハネス,ブレシアのアルノルドゥス,マイネリウスなど当代一流の知識人を輩出させた。修道院の禁域内にはいくつもの学校や学寮がつくられ,それが集まってやがてパリ大学へと発展した。付近はカルティエ・ラタンの主要部分となる。修道院はフランス国王の保護下に置かれ,国王は修道院長の候補者の推薦と任命に責任をもった。
執筆者:今野 國雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報