日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュッケルト」の意味・わかりやすい解説
シュッケルト
しゅっけると
Johann Siegmund Schukkert
(1846―1895)
ドイツの機械技師、工業家。ニュルンベルクに生まれ、早くから精密機械工として働き、20歳でクラーゲの電信架設会社の職工長となった。その後、アメリカに渡り、エジソンの下で電信装置やタイプライターの製作に従事。1873年ウィーン万国博覧会を機に帰国し、同年、生地に自分の工場を建設した。自ら考案した力量計をはじめ各種計器類の製作を手がけた。1874年電気機械の研究を始め、コイルの巻線(けんせん)方式を改良するなど発電部門に進出した。1882年のミュンヘン電気博覧会では、水力発電により会場まで5キロメートルの送電を行って注目された。さらに1887年リューベックに発電所を完成させ、発送電システムの建設を進めた。この間、彼の工場は一大企業としての地歩を固め、1892年彼はシュッケルト電気株式会社を設立した。シュッケルト自身は健康上の理由から事業の第一線から身を引き、3年後に死去した。会社は、1903年ジーメンス社と合併し、ジーメンス‐シュッケルト社(のちにジーメンス‐ハルスケ社とともにジーメンス社に一本化)としてドイツ重電機器製造の独占企業へと発展した。
[高橋智子]