ジーメンス(読み)じーめんす(英語表記)Siemens AG

デジタル大辞泉 「ジーメンス」の意味・読み・例文・類語

ジーメンス【Siemens】[人名]

(Ernst Werner von ~)[1816~1892]ドイツの電気技術者。電気機器メーカーのジーメンス社の創立者。自励式発電機・電気めっき法・電信装置・電気鉄道を発明。
(Karl Wilhelm ~)⇒シーメンズ
(Wilhelm von ~)[1855~1919]電気技術者。の子。白熱電光の理論を完成。

ジーメンス(〈ドイツ〉Siemens)

国際単位系(SI)の電流コンダクタンスの単位。1ジーメンスは1ボルトの電位差のある導線に1アンペアの電流が流れるときの導電率。名称はE=W=ジーメンスにちなむ。記号S

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精選版 日本国語大辞典 「ジーメンス」の意味・読み・例文・類語

ジーメンス

  1. [ 一 ] ( Ernst Werner von Siemens エルンスト=ウェルナー=フォン━ ) ドイツの電気技術者。一八四七年、機械技師ハルスケとともに、ジーメンス社の前身であるジーメンス‐ハルスケ商会を創設。多数の電気機械を発明、製造した。(一八一六‐九二
  2. [ 二 ] ( Karl Wilhelm von Siemens カール=ウィルヘルム=フォン━ ) ドイツ生まれの電気学者。[ 一 ]の弟。イギリスに帰化して、サー=チャールズ=ウィリアム=シーメンズと呼ばれる。兄弟で陸上・海底の電信網の敷設にあたり、蒸気機関の差動調速機、冶金用再生ガス炉などを発明した。(一八二三‐八三
  3. [ 三 ] ( Karl Friedrich von Siemens カール=フリードリヒ=フォン━ ) ドイツの企業家。[ 一 ]の子。ジーメンス‐コンツェルンを確立し、ドイツ電気工業界を支配した。(一八七二‐一九四一

ジーメンス

  1. ( Siemens AG. ) ドイツの総合電気機器メーカー。一八四七年ベルリンに創立。通信、重電、医療の三部門にわたって世界有数のコンツェルンを形成。一九六六年、ジーメンス‐シュツケルト社とジーメンス‐ハルスケ社を合同し、現社名となる。

ジーメンス

  1. 〘 名詞 〙 ( [ドイツ語] Siemens ) 導電率の単位。電気抵抗の単位オームの逆数。記号S 通例はモー(Ω)という単位を使用。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジーメンス」の意味・わかりやすい解説

ジーメンス(電気機器メーカー)
じーめんす
Siemens AG

ドイツの大手総合電気機器メーカー。1847年、電気技術者ウェルナー・フォン・ジーメンスと機械技術者ヨハン・ゲオルク・ハルスケJohann Georg Halske(1814―1890)がベルリンに合名会社ジーメンス‐ハルスケ商会を創立し、電信機器の製造と電信ケーブルの敷設を開始した。1860年代後半にはジーメンスはハルスケの持分を譲り受け、その後はジーメンス一族の支配となった。1866年、発電機の発明を契機に、重電部門の比重を高めた。1879年、ベルリン勧業博覧会で、世界初の電気鉄道の実験に成功。1880年代初めには、電気照明、電動機の分野に進出した。1890年に合名会社から合資会社に組織変更をしたが、1400万マルクの出資額はすべてジーメンス一族の所有に帰し、1897年には株式会社形態となったが、株式の大部分は設立者の一族に受け継がれた。19世紀末には、職員2000人、労働者1万2000人を数え、工場はベルリン、ウィーン(1879)、ペテルブルグ(1855)、ロンドン(1858)に置かれた。1903年にはシュッケルト電気株式会社を吸収し、重電部門を総括するために、新たにジーメンス‐シュッケルト社を資本金9000万マルクで設立した。

 第二次世界大戦で主力工場を焼失し、巨額の在外資産を失ったが、戦後はドイツ南部のミュンヘンを本拠に再建が図られ、オランダのフィリップス社と並ぶヨーロッパを代表する電機メーカーにまで成長した。1966年、ジーメンス‐ハルスケ社とジーメンス‐シュッケルト社を一本化して、現社名に変更した。

 ジーメンスは、重電から家電、エレクトロニクスまでを扱う総合電機メーカーであり、売上げの半分以上は海外という国際企業である。2000年4月にドイツの大手鉄鋼メーカー、マンネスマンの非通信部門を自動車部品メーカーであるロバート・ボッシュ社Robert Bosch GmbHと共同買収することを決定した。生産工場を50か国にもち、販売拠点は190の地域に及んでいる。2009年度の売上高は766億ユーロ、営業利益は25億ユーロ。売上高の内訳はインダストリー350億ユーロ、エネルギー260億ユーロ、ヘルスケア120億ユーロ、その他36億ユーロとなっている。従業員数40万5000人(2009)。本社はバイエルン州ミュンヘン。

 日本では「シーメンス」といわれる。1861年(文久1)シーメンス製電信機が初めて幕府に献納された。1887年(明治20)にはヘルマン・ケスラーがシーメンス東京事務所で開設した。彼は古河(ふるかわ)財閥との提携を進め、1923年(大正12)に富士電機製造株式会社(1984年富士電機株式会社と改称)を合弁で設立した。1970年(昭和45)富士電機製造からシーメンス製医療機器事業の譲渡を受け日本シーメンス株式会社が発足。1979年日本シーメンスとシーメンス日本代表部の業務を統合し、現在のシーメンス株式会社に名称が変更された。なお、1914年に軍艦などの兵器輸入に関し旧日本帝国海軍への贈賄(ぞうわい)が摘発されたシーメンス事件でその名を知られる。

[湯沢 威・所 伸之・田村隆司]


ジーメンス(Ernst Werner von Siemens)
じーめんす
Ernst Werner von Siemens
(1816―1892)

ドイツの電気技術者、物理学者、工業家。ハノーバー、レンテの御料地小作人の家に、14人兄弟の4番目に生まれる。学費の要らない砲兵学校を卒業、砲兵士官になった。兄弟の生活を支えるため発明を志し、1842年最初の特許を電気めっき法で得た。1847年に指針電信機の改良とグッタペルカ(樹脂の一種)を巻いた地下ケーブルを発明し、軍人を辞めて機械工のハルスケJohann Georg Halske(1814―1890)とともに電信機の製作と敷設にあたるジーメンス‐ハルスケ商会(後のジーメンス社)をベルリンにおこした。兄弟たちの協力によるロシアとイギリスでの電信網の敷設は、ヨーロッパの電機製作業における彼の地位を確立させた。ついで発電機の実用化に専念して、1867年に自励発電の原理を学会に発表した。この原理の先取権については他の学者との間で問題になったが、工場をもつ彼は、発電機およびこれと可逆的な電動機を急速に普及させた。1862~1867年国会議員としてドイツの工業政策に尽力し、特許法の公布、物理工学国立研究所の創設、工科大学内の電気工学講座の独立などに貢献した。『回想録』(1892)のほか、2巻の論文集が刊行されている。ベルリンで没した。彼の遺品はミュンヘンのドイツ博物館およびジーメンス社歴史館に保存し公開されている。

[山崎俊雄]


ジーメンス(Friedrich Siemens)
じーめんす
Friedrich Siemens
(1826―1904)

ドイツの窯業技術者。ジーメンス兄弟の9番目。1848年イギリスに渡り、イギリスに帰化した兄ウィリアム・シーメンズの会社で働き、1861年ガラス工業用の蓄熱式反射炉を発明し、1864年ドイツに戻って、ドレスデンおよびボヘミアに大ガラス工場を建設し、ガラスの製造法とその装置の進歩に貢献した。蓄熱式ガスランプ(1879)、蓄熱式ガス加熱による連続式ガスランプ(1868)、押型硬質ガラス(1877)、網入りガラス(1886)などの発明も行った。

[山崎俊雄]


ジーメンス(コンダクタンスの単位)
じーめんす
siemens

固有の名称をもつ国際単位系(SI)の一つである。コンダクタンス(導電率)の単位で、電気抵抗の単位であるオームの逆数。記号はS。1969年に国際単位系(SI)に導入された。1ボルトの電位差のある導線に1アンペアの電流が流れているとき、この導線のコンダクタンスを1Sであるという。オームの逆数であるところから、モーmhoともよばれ、記号にも℧が用いられることがある。名称は、ドイツの物理学者E・W・ジーメンスにちなむ。

[小泉袈裟勝・今井秀孝]


ジーメンス(Sir William Siemens)
じーめんす

シーメンズ

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百科事典マイペディア 「ジーメンス」の意味・わかりやすい解説

ジーメンス[会社]【ジーメンス】

ドイツ最大の電機メーカー。シーメンスとも。通信機器,重電機器,医療機器が中心。1847年電気工学者E.W.vonジーメンスが機械工のハルスケとともにジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所を設立したのがはじまり。1867年にはアイルランドから米国まで海底電信線を敷設。1897年株式会社に。以後,企業の買収・合併を通して基礎を確立,一大グループに成長した。第2次大戦後,西ドイツの復興とともに発展。重・軽電全般を手がけるヨーロッパの代表的電機コンツェルンとなり,1966年社名を現社名に変更。1990年代以降,事業の分離,売却を加速し,1999年電子部品事業を20億マルクでアメリカのタイコ・インターナショナル社へ売却。1998年ウェスティングハウス・エレクトリック社の原子力以外の発電部門を買収。米国内の重電部門と統合して新会社Siemens Westinghouse Power Corp.を設立。日本との関係では1914年のシーメンス事件や1923年の古河財閥と共同で設立した富士電機設立が知られる。また,1999年10月には富士通と欧州のコンピュータ関連部門を統合し,新会社富士通ジーメンス・コンピューターズを設立した。本社ミュンヘン。2011年9月期売上高735億1500万ユーロ。→AEG
→関連項目ガボール富士電機[株]

ジーメンス

ドイツの電気技術者,実業家。ウィリアム・シーメンズなど十数人のジーメンス兄弟の長兄。ハノーファー近郊に生まれ,技術将校として造兵廠勤務中,指針電信機,地下ケーブルを発明。1847年機械工J.G.ハルスケ〔1814-1890〕とジーメンス・ウント・ハルスケ会社(現在のジーメンス社)を創立。電信線,発電機など多くの電気機器を発明・改良,また海底ケーブル,電気鉄道の敷設などの業績も大きい。19世紀後半,電気技術興隆期のドイツにおける代表的人物。
→関連項目AEG[会社]ジーメンス電気機関車

ジーメンス

電気のコンダクタンスのSI単位。記号S。W.v.ジーメンスにちなむ。1アンペアの電流が流れる導体の2点間の電圧が1ボルトであるときに,その2点間の電気のコンダクタンスをさす。単位モーに同じ。
→関連項目電気伝導率

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改訂新版 世界大百科事典 「ジーメンス」の意味・わかりやすい解説

ジーメンス
Ernst Werner von Siemens
生没年:1816-92

ドイツの電気工学者。ジーメンス社を創立した企業家。14人兄弟のうちで6番目(7人の男子の中では最年長)に生まれた。リューベックのギムナジウムで学んだあと,砲兵隊に入り,電気の知識を身につけた。1847年に精密機械工ハルスケJ.G.Halskeと共同でジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所(現在のジーメンス社)を設立した。ジーメンス・ウント・ハルスケ電信製造所はロシアに進出して電信を敷設し,成功をおさめた。ジーメンスはまた,弟のW.シーメンズと協力して,ロンドンにシーメンズ・ブラザーズ社を設立した。ジーメンス兄弟は卓越した技術者であり,巧みな政治力も駆使して,ヨーロッパ各国に子会社をもつコンツェルンをつくった。ジーメンス・グループは1903年にシュッケルト社を吸収してジーメンス・シュッケルト社とし,重電部門を強化した。ウェルナー・ジーメンス自身の発明としては,架空裸線にかわるグッタペルカ絶縁電信線(1848ころ)や自励発電機(1867)などがあり,とくに後者は電力の集中生産を可能にしたものとして重要である。ジーメンス社は1879年にベルリンで世界最初の電車の試運転に成功し,81年にはベルリン郊外で電車の営業運転を始めた。ドイツ電気学会や国立物理・工学研究所の設立にもウェルナー・ジーメンスは重要な役割を果たした。このように,彼は学問,研究から実用生産までの全面において,電気工学,電気工業の主要なパイオニアの一人であった。
執筆者:


ジーメンス
Carl von Siemens
生没年:1829-1906

ドイツの電気技師。ジーメンス兄弟の10番目。兄ウェルナーとともに,電信技術の新しい市場ロシアに渡った。1853年にはモスクワ~ペテルブルグ間の電信線を開設し,55年までにロシアの電信網の基礎をつくり上げた。69年にはイギリスに渡り,74年には電線敷設用に造った船ファラデー号で,アメリカ~イギリス間の海底電信線の敷設を指揮した。1893-1906年の間は,シーメンズ・ブラザーズ社の会長を務めた。
執筆者:


ジーメンス
siemens

電気抵抗の逆数であるコンダクタンスの国際単位系の単位で,記号はS。1Vの電圧が印加された導体に流れる電流が1Aのとき,その導体のコンダクタンスは1S,すなわち1S=1A/Vである。電気抵抗の単位オーム(Ω)の逆数であるので,℧またはmhoと書かれたが,現在ではSに統一されている。ドイツの電気技術者E.W.vonジーメンスにちなんで名付けられた。
執筆者:


ジーメンス
Friedrich Siemens
生没年:1826-1904

ドイツの技術者。ジーメンス兄弟の9番目。1848年に兄ウェルナーの電信機を販売するためにイギリスに渡った。61年には,イギリス在住の兄ウィリアムとともに,蓄熱反射炉を発明した。その後この反射炉をガラス工業に転用・実用化し,64年にドイツに戻り,ドレスデンのガラス工場を引き継いだ。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジーメンス」の意味・わかりやすい解説

ジーメンス
Siemens AG

ドイツの総合電機メーカーで,世界有数の電機工業コンツェルン。 1847年ウェルナー・ジーメンスとヨハン・ゲオルク・ハルスケによるジーメンス・ウント・ハルスケ電信機製造会社の創設に始まる。当初は電信機器の製造と電信ケーブルの敷設工事を主としたが,その後ロシア,イギリス,フランスなどの各国にも事業を拡大,またアイルランド-アメリカ間の海底電信ケーブルを布設して電信線,海底電線など弱電部門においてヨーロッパで独占的な地位を確立した。 1866年には発電機の製造に成功,強電部門も発展させた。 1897年株式会社に改組しジーメンス・ウント・ハルスケ株式会社となったが,株式はすべてジーメンス一族が所有した。 1900~01年のヨーロッパ恐慌時には多くの企業を傘下に収めた。 1903年自社の重電部門がシュッケルトと合併して,ジーメンス=シュッケルトウェルケとなり,弱電部門 (通信機) を主力とするジーメンス・ウント・ハルスケとともにジーメンス・コンツェルンの中核となった。第2次世界大戦後,在外資産とドイツ民主共和国 (東ドイツ) の資産を没収され打撃を受けたが,資産分割を免れ,その後のドイツ連邦共和国 (西ドイツ) 経済の発展と歩調を合わせて事業分野を拡大し,1950年代以降急速に発展した。 1966年両社を統合して現社名に変更するとともに主要子会社の業務を統合。ヨーロッパ,カナダなど多くの国に子会社をもっている。事業内容は発電・送電機器,産業用・輸送用機器の重電部門,電話,デジタル交換システム EWSD,通信システムの通信機器部門,データ処理機器,データ送信機器,鉄道信号システムのデータシステム部門,プラントエンジニアリング,配電・駆動回路,オートメーションなどプラント・設備部門,X線装置,電子医療機器などの医療機器部門,ICカードや ISDN用チップなどの部品部門がある。

ジーメンス
Siemens, Werner von

[生]1816.12.13. レンテ
[没]1892.12.6. ベルリン
ドイツの電気技術者,電信事業経営者。電気機械で世界を制覇したドイツ電機産業中最も有力な,いわゆるジーメンス・コンツェルンの基礎を形成した。4人兄弟の長兄。プロシア軍隊に入り 1838~48年造兵廠に勤務する間に,種々の軍事技術上の仕事に従事したが,指針電信機の改良と地下ケーブルの発明で自信を得て退役。 47年ジーメンス・ウント・ハルスケ商会を創立した。同年ベルリン-フランクフルトアムマイン間にドイツ最初の電信線を開通し,51年には次弟ウィリアム・シーメンズの協力によって,イギリスでの海底ケーブルの布設を行い,74年にはリオデジャネイロ-モンテビデオ間,75年にはイギリスとアメリカ合衆国直結にも成功した。 56年頃から強電部門の事業へも進出し,79年にはベルリンに最初の電気鉄道を敷設した。末弟のフリードリヒは 56年にガス燃焼式平炉を発明,製鉄事業に大きな影響を及ぼした。

ジーメンス
siemens

コンダクタンスまたはアドミタンスを示す,SIに基づく組立単位。記号はS。かつては単位モーが用いられたこともある。 1Sは電位差が 1Vのときに強さ 1Aの電流が流れる導線のコンダクタンスである。単位名はウェルナー・フォン・ジーメンスの名にちなむ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ジーメンス」の解説

ジーメンス
Siemens

ドイツの技術者兄弟
長兄ウェルナーWerner von(1816〜92)は1847年ベルリンに電信機製造のジーメンス−ハルスケ会社を創設し,79年には発電機を改良して最初の電車をベルリンに走らせた。弟ウィルヘルムWilhelm(1823〜83)はイギリスに帰化し,1864年平炉製鋼法を開発,74年にはウェルナーと共同して大西洋横断ケーブルの敷設に成功した。その子ゲオルクGeorg(1839〜1901)はバグダード鉄道を中心とする近東・バルカンに投資。その弟カールCarl(1872〜1941)は,ジーメンス−ハルスケ会社を中核に,電気通信部門の独占体であるジーメンス−コンツェルンを組織した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

化学辞典 第2版 「ジーメンス」の解説

ジーメンス
ジーメンス
siemens

電荷の流れやすさを表すコンダクタンスの単位.記号 S.従来,コンダクタンスの単位としてはモー(mho)が用いられてきたが,1971年に国際単位系(SI単位)に採用された.

S = kg-1 m-2 s3 A2 = A V-1 = Ω-1

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジーメンス」の解説

ジーメンス
Siemens

ドイツの技術者兄弟。(長兄)Werner von Siemens 1816~92 ダイナモ発電機を発明し,ベルリンで初めて電車を走らせ,ジーメンス・ハルスケ会社を創立(1847年)して,電気機械で世界を制覇した19世紀後半のドイツ産業の指導者。(弟)William Siemens 1823~83 平炉製鋼法(シーメンス・マルタン法)を発明,イギリスに帰化。(その弟)Friedrich Siemens 1826~1904 ガラス工業の創始者。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

知恵蔵 「ジーメンス」の解説

ジーメンス

SIのコンダクタンスの単位。固有の名称を持つ組立単位で、英国の電気技術者E.W.von・ジーメンスにちなむ。コンダクタンスは、電気抵抗の逆数の次元を持つ量で、オーム単位で表した電気抵抗の逆数が、ジーメンス単位で表したコンダクタンス。

(今井秀孝 独立行政法人産業技術総合研究所研究顧問 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

単位名がわかる辞典 「ジーメンス」の解説

ジーメンス【siemens】

導電率(コンダクタンス)の国際単位。記号は「S」。1Sは1Aの電流を流した場合、両端の電位差が1Vになるような導電体の導電率(1S=1A/V)。抵抗の逆数である。◇名称は、ドイツの電気技術者ジーメンスにちなむ。

出典 講談社単位名がわかる辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のジーメンスの言及

【電気機関車】より

…広義には,ディーゼルエンジンなどで駆動される発電機からの電気エネルギーを利用するもの(ディーゼル電気機関車など)や蓄電池により電気エネルギーを得るもの(蓄電池式電気機関車)を含めることもある。
[歴史]
 1835年アメリカで,レールの上を電池と電磁機械で動く模型が作られたのが最初といわれており,その後もいくつかの試みはあったが,実用的な電気機関車としては,79年ドイツのE.W.vonジーメンスがベルリンの博覧会で走らせた約3馬力のものが最初である。これは電圧125V,直巻2極の円筒電動機による歯車駆動で,300mの区間を3両の列車に約20名の乗客を乗せて7km/hの速度で牽引した。…

【電車】より

…また広義に鉄道車両というときには,機械的または磁気的に案内された走行路を走る車両をいうので,ケーブルカーやロープウェー,モノレールの車両をはじめ,最近のいわゆる新交通システムや磁気浮上鉄道用の車両も電車といえる。
[電車の変遷]
 実用的な電車の登場は,1881年ドイツのベルリン郊外のリヒテルフェルデ市街鉄道において,約4kmの区間に,E.W.vonジーメンスによる木造の小型電車が運転されたのが最初である。アメリカでも87年にリッチモンドで試運転が行われ,翌年営業を開始,その後,ヨーロッパやアメリカの大都市およびその近郊で馬によらない路面電車および郊外電車を中心に発達していった。…

【電動機】より

…回転子位置検出器と同期電動機とサイリスター電力変換装置を組み合わせたものをサイリスターモーターまたは無整流子電動機という。
【歴史】
 1821年にM.ファラデーが原理的な電動機を製作し,36年にアメリカのダベンポートT.Davenport(1802‐51)が直流電動機を作って電池の電力で旋盤を回したが,直流電動機が広く実用されるようになったのは,67年にE.W.vonジーメンスが,電池の助けをかりずに発電する自励式直流発電機を考案してからである。82年にはN.テスラが二相誘導電動機を考案し,85年にはG.フェラリスが分相形単相誘導電動機を考案し,M.ドリボ・ドブロウォルスキーは91年に三相誘導電動機を,93年に二重かご形誘導電動機を考案した。…

【アドミタンス】より

…電流の流れやすさを示す量で,電流と電圧との比。単位はジーメンス,単位記号はS。かつてモー(℧)という単位が用いられた。…

※「ジーメンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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