改訂新版 世界大百科事典 「ジュンブラート」の意味・わかりやすい解説
ジュンブラート
Jumblat
生没年:1917-77
レバノンの政治家。アラビア語では,ジャームブラートJāmbulāṭとよぶ。ドルーズ派の名門ジュンブラート家の首長。パリで文学と哲学を,ベイルートで法学を学ぶ。1940年代半ばから政治活動に参加,49年には社会改革を唱える進歩社会党を設立した。47年以後(57年のみを除き)連続して国会議員,しばしば閣僚となり,レバノン政界で有力な地位を占めた。52年シャムウーンにくみしてホーリー大統領を倒し,58年の内戦ではシャムウーンと対決した。50年代にナーセルのアラブ民族主義に共鳴し,60年代にはますます左翼化してレバノンのアラブ民族主義勢力を結集した国民戦線の指導者となり,パレスティナ抵抗運動を強力に支持したが,77年3月シューフ山中で暗殺された。主著《レバノン革命の真実》《レバノン政治の潮流》。
執筆者:木村 喜博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報