スターソフ(その他表記)Vladimir Vasil'evich Stasov

改訂新版 世界大百科事典 「スターソフ」の意味・わかりやすい解説

スターソフ
Vladimir Vasil'evich Stasov
生没年:1824-1906

ロシアの音楽・美術評論家,芸術史家。高名な建築家ワシーリー・P.スターソフの子。ペテルブルグの図書館に勤めるかたわら,多方面の研究に取り組み,業績考古学,言語学の領域にも及ぶが,ベリンスキーの影響をうけて,とくに芸術における民族的・民衆的要素の重要性を強調したことで知られる。音楽の分野では,バラーキレフらのロシア国民楽派の理論的指導者で,ムソルグスキーボロジンオペラ創作にあたっては,資料を提供し,助言も与えている。美術の分野では移動展派の積極的支持者で,ワスネツォフクラムスコイペローフ,レーピンらを最初に評価したのもスターソフであった。彼の批評には,ときたま性急な一面性が露呈することもあるが,ロシアにおけるリアリズム芸術の熱烈な唱導者としての功績は大きい。1900年科学アカデミーの名誉会員に選ばれた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のスターソフの言及

【移動展派】より

…技法や思想的統一のない団体で,風俗風刺のペローフ,ロシアの風景に愛情を注ぐレビタンIsaak Il'ich Levitan(1860‐1900),歴史画のレーピンスリコフのような多彩な画家数十名から成るが,多くは農奴層出身者であった。批評家スターソフVladimir Vasil’evich Stasov(1824‐1906),収集家のトレチヤコフPavel Mikhailovich Tret’yakov(1832‐98)らが,移動展派の強力な支持者であった。93年レーピンほか数名の所属員がアカデミーの教授に迎えられたため,活動は自然消滅するが,なかには20世紀まで制作し,主張し続けた画家もあった。…

【移動展派】より

…技法や思想的統一のない団体で,風俗風刺のペローフ,ロシアの風景に愛情を注ぐレビタンIsaak Il'ich Levitan(1860‐1900),歴史画のレーピンスリコフのような多彩な画家数十名から成るが,多くは農奴層出身者であった。批評家スターソフVladimir Vasil’evich Stasov(1824‐1906),収集家のトレチヤコフPavel Mikhailovich Tret’yakov(1832‐98)らが,移動展派の強力な支持者であった。93年レーピンほか数名の所属員がアカデミーの教授に迎えられたため,活動は自然消滅するが,なかには20世紀まで制作し,主張し続けた画家もあった。…

【ロシア国民楽派】より

…1850年代の終りから70年代にかけて,民主的な思想の高まりを背景として活躍したロシアの作曲家の集団。ロシア語では〈新ロシア楽派〉〈バラーキレフ・グループ〉あるいは〈力強い一団(仲間)Moguchaya kuchka〉(スターソフが最初に用いた呼び名),フランス語で〈五人組Groupe des Cinq〉などとも呼ばれる。 文学ではチェルヌイシェフスキーやドブロリューボフを中心に《現代人》誌に集まったグループ,絵画では〈芸術家組合Artel’ khydozhnikov〉や〈移動展派〉のグループが生まれたが,それらと同様な立場にある。…

※「スターソフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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