日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペローフ」の意味・わかりやすい解説
ペローフ
ぺろーふ
Василий Григорьевич Перов/Vasiliy Grigor'evich Perov
(1833―1882)
ロシアの画家。トボリスクに生まれたが、生年については34年説もある。アルザマスとモスクワの美術学校に学び、美術アカデミーの留学生としてパリで勉強した。学生時代から社会的関心の強いテーマを描いていたが、『村の復活祭の聖行列』(1861)、『ムイチシチ家の茶会』(1862)では当時のロシア農村の現実がきわめて的確に描かれている。政治情勢の変化とともにその主題も先鋭化し、『葬式』(1865)、『トロイカ』(1866)、『溺死(できし)した女』(1867)、『関門わきの居酒屋』(1868)などはドストエフスキー文学の世界に通ずるものがある。また、肖像画家としても優れ、『オストロフスキー』(1871)、『ドストエフスキー』(1872)、『ダーリ』(1872)(以上いずれもモスクワ、トレチャコフ美術館)などが有名。晩年は後進の指導にあたり、カサートキン、コロービン、ネステロフ、リャーブシキンらを育てた。
[木村 浩]