日本大百科全書(ニッポニカ) 「スノッリ・スツルソン」の意味・わかりやすい解説
スノッリ・スツルソン
すのっりすつるそん
Snorri Sturluson
(1179―1241)
アイスランドの首長、詩人、歴史家。フバムルの首長スツルラの子として生まれる。歴史家サイムンドルの孫ヨウン・ロプトソンの養子になり、当時の学芸の中心地オッディに住む。ここで歴史や神話や古詩について学び、20歳で資産家の娘と結婚、ボルグに移り、歴史家、法律家、詩人として名声を高める。政治家としても有能で、教会と首長の争いの調停に手腕を発揮し、全島民会の法律布告者となる。1218年ノルウェーを訪れ、ハーコン・ハーコナルソン王やスクーリ侯の知遇を得て、のちに『ヘイムスクリングラ』Heimskringlaを書くことになる。『スツルルンガサガ』によれば、ノルウェー王のアイスランドへの野心に絡む政争に巻き込まれ、刺客に襲われて殺された。スノッリの残した業績の一つ『散文エッダ』は、詩学入門書として著されたもので、詩人の素養として必要な神話の概観、換喩(かんゆ)(ケニング)技法の説明、自作詩による韻律の説明の三部からなり、北欧神話と詩法の得がたい資料となっている。『ヘイムスクリングラ』は、太古から1177年までのノルウェー王朝史を扱った質量ともに優れた大長編サガで、ユニークな北欧史となっている。
[谷口幸男]
『山室静著『北欧文学ノート』(1980・東海大学出版会)』