スーサ遺跡(読み)スーサいせき(その他表記)Susa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スーサ遺跡」の意味・わかりやすい解説

スーサ遺跡
スーサいせき
Susa

イラン西部,フージスターン地方にある古代エラム都城址。遺跡は 1km2にわたる領域にあるいくつかのテペ (人工丘) から成る。発掘は 19世紀中葉より,W.ロフタス (1851~53) ,J.モルガン (97~1912) らによって行われ,1946年以降は,R.ギルシュマンが発掘を主導。遺跡は大きく分けて青銅器以前の先史時代と,以降の2期がある。第1期はメソポタミアウバイド期にあたる美しい彩文土器群が知られており,第2期のエラム期の遺跡からは,エラムがバビロンを劫略した際持帰ったとみられるハンムラビ法典石碑,ナラムシン王の戦勝碑などが発見され,学界に大きな驚きをもたらした。なおアケメネス朝時代にもダレイオス1世はここにアパダナ (謁見の間) を建設,冬の都として使用した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む