セーコージ山
せーこーじやま
[現在地名]那覇市若狭一丁目
若狭町村の北西の小丘陵。東は兼久バマを経て上之毛、北西は波之上へ連続し、西は護国寺、天尊廟などを経て辻原、南は若狭町大道となっていた。琉球貿易図屏風(滋賀大学経済学部附属史料館蔵)や那覇及久米村図(沖縄志)に、護国寺の裏側の丘陵として描かれている。東恩納寛惇は山名のセーコージは、もと近くにあった洪済寺が転訛したものとしている(南島風土記)。洪済寺は少なくとも明治期まで存続していたことが確認される。山の西側、波上宮への参道との間は北から護国寺、天尊廟、天尊小堀、広巌寺などが立並んでいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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