タトラー(その他表記)The Tatler

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タトラー」の意味・わかりやすい解説

タトラー
The Tatler

イギリス随筆家 R.スティールが J.アディソンの協力を得て 1709年4月に発刊したエッセー新聞。週3回発行,11年1月まで続いた。社会風俗,文芸,政治外交のニュースと論評を提供し,特に市民道徳の立場から,上流階級で行われた決闘賭博の害を説き,社会教化を指向する面が顕著であった。筆者スティールは,J.スウィフトが以前に創造したビッカースタッフなる人物として執筆。あとをうけた『スペクテーター』とともに,18世紀初頭のイギリス市民社会の風土をよく示す一方,小説というジャンルが出現する土台を固める役割を演じた。

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世界大百科事典(旧版)内のタトラーの言及

【アディソン】より

…帰国後キット・キャット・クラブに入り,さらにホイッグ党の下院議員となる。その間とくにR.スティールと親しくなり,彼の主宰する定期刊行物《タトラーThe Tatler》(1709‐11)に引き入れられ,次いで《スペクテーター》(1711‐12,1714)で中心的な役割を果たす。《スペクテーター》では温和な調子で当時の風俗を観察し,道徳的な規範を示し,文学批評の面でも重要な寄与をした。…

【スティール】より

…《葬式》(1701),《うそつき恋人》(1703),《やさしい夫》(1705)は,当時の下品で放蕩と思われていた劇に対抗して,上品なやさしい感情に訴える特質をもっている。1709年,学校時代の旧友アディソンを誘って週3回の定期刊行物《タトラー》を創刊。その成功に勢いを得て11年に発行した《スペクテーター》も評判となった。…

【スペクテーター】より

…アディソンJoseph AddisonとスティールRichard Steeleが1711年3月1日に創刊した。スティールは,1709年4月12日からアディソン,スウィフトJonathan Swiftら文人の協力をえて《タトラーTatler》(週3回刊)と題する,ビカスタッフIssac Bickerstaffという架空の語り手によるエッセー主体の新聞を出し,大きな成功を収めていた。彼らのエッセーは身辺雑記,そこはかとない感想をつづるものではなく,社会のモラル,マナーを改造しようという遠大な目的意識に貫かれていた。…

※「タトラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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