デジタル大辞泉 「風土」の意味・読み・例文・類語
ふう‐ど【風土】
2 人間の文化の形成などに影響を及ぼす精神的な環境。「政治的
[補説]書名別項。→風土
[類語]気候・気象・季候・時候・陽気・寒暖・寒暑・天候・天気・日和・空・空模様・空合い・風雲
翻訳|climate
風土は中国起源の語で,元来,季節の循環に対応する土地の生命力を意味した。土地は,天地の交合によって天から与えられた光や熱,雨水などに恵まれているが,生命を培うこれらの力が地上を吹く風に宿ると考えられたのであろう。許慎(後漢)の《説文解字(せつもんかいじ)》に〈風動いて蟲生ず〉とあるように風という字の中の虫は,一年中で最も早く生じる生物であった。人間本来の性は同じでも,土地の生命力ごとにその涵養のされ方には違いができることから,風土の語は,《後漢書》では場所ごとに異なる地方差を意味するに至った。2世紀末には《冀州(きしゆう)風土記》をはじめとして,《風土記》を称する地誌が所見される。古代日本でも8世紀以来地誌編纂が行われたが,《風土記》の名称が正式にみえるのは,925年(延長3)の太政官符である。しかし《万葉集》の大伴家持の歌の注に〈越中風土。梅花柳絮,三月初咲耳〉などとあり,すでに平城の人々にとって,全体としての土地柄を示す風土の語は親しみやすい独自の響きをもっていたのであろう。
ヨーロッパでは,風土に対応する語に〈クリマKlima〉がある。古代ギリシアで傾きや傾斜を意味したこの語が,太陽光線と水平面とのなす角度が場所ごとに変わることから,気候や気候帯を意味することになった。また気候の変化に応じて土地柄も変わることから,各場所ごとの大局的な傾向を表すものとして,クリマすなわち風土という概念が再生産された。しかし,古代のヘロドトスやストラボンから近世のボダンやモンテスキューに至るまで,土地柄を規定する主因として素朴に気候が取り上げられ,現代でも風土すなわち気候とみなされやすい。われわれを包みこむ全環境としての風土を包括的に体系化したのは,ヘルダーJ.G.Herderであった。彼は《歴史哲学の理念》(1784-91)の中で,各場所の森羅万象が風土に即していることを強調し,〈土地の高低,その性質,その産物,飲食物,生活様式,労働,衣服,娯楽,技芸などのすべてが,風土の描きだしたもの〉とみ,〈人間にも,動物にも,植物にも,固有の風土があり,いずれもその風土の外的作用を特有の仕方で受けとめ,組織し,編みなおすものである〉と論じて,人間史の基礎に主体的な風土を位置づけた。
日本では和辻哲郎が《風土》(1935)を著しユニークな風土論を展開した。西欧哲学の関心は,風土よりも時間や歴史に傾いていたが,和辻は,存在と時間の関係を論じたM.ハイデッガーの歴史への視点を場所へと移したのである。彼は家,村,町,国,会社など地上の客観的な形成物が,それぞれ人間存在の特殊な仕方を表現するものであるとし,〈世間〉の空間的な間柄を探る必要を説く。こうした空間的な間柄を映しだすものが風土であり,風土ごとに間柄の表現と了解には異なる仕方があると論じた。そして,具体的に〈牧場的風土〉のヨーロッパや〈砂漠的風土〉のオリエント,〈開拓者的風土〉のアメリカと比較して,〈モンスーン的風土〉の日本における特徴を探っている。彼は,牧草に恵まれ,意のままに生活の営まれやすいヨーロッパの自然克服の文化と対比して,モンスーン(季節風)に規定されがちな日本では,自然順応の生活様式や考え方が目だつという。思想史的にみて,従来の考え方に欠けていた人間存在の風土的側面に注目し,地表上に展開する風土を具象的に解明しようとする点で,和辻の《風土》は評価される。
一方,ドイツではフッサールが,発生母胎としての日常の〈生活世界〉をみのがすところに近代諸科学の危機があると論じ,つづいてフランスのメルロー・ポンティが,〈生活世界〉の概念を〈身体の延長としての生きられる空間〉へと深化させ,知覚世界の現象学を提示した。これは,風土の概念を哲学的に深めるうえで示唆的であるといえよう。
しかし風土を論じるにあたっては,地理学的研究の成果を無視できない。ヘルダーの思想的影響のもとに,〈局地〉〈地方〉〈大陸〉などの分節構造をもつ地表の部分について,各レベルの分肢に宿る〈類型〉を明らかにしようとしたK.リッターの地理学や,その考え方を発展させたF.ラッツェルの位置や運動,領域論は,人間を大地の内的存在とみる。また各地の個性を解明しようとする地誌学研究が実証する自然-人間の生態系,行動に枠組み(地と図)を提供する多彩な文化景観,地域区分の流動性などにも,全体としての風土の把握にとって有効な視点が少なくない。思弁的傾向の強い上述の思想家たちが,近代地理学の動向に無関心であったことは,風土論の理論構築にとっても不幸なことであった。和辻は《風土》執筆後にビダル・ド・ラ・ブラーシュの《人文地理学原理》(1922)に接して,もしあらかじめビダル・ド・ラ・ブラーシュを知っていたならば,その論述も違っていただろうと付記している。
以上の諸説とは学史的背景を異にするが,シュペングラーの《西欧の没落》やトインビー《歴史の研究》,クローバーA.L.Kroeberやベネディクトの文化類型論には,旧来の地理学的研究の多くに不足しがちな文明や文化,人間についての比較考察が豊かにみられる。文化や社会の伝統的な一元論的発展説を批判して,諸文化の多系論を展開したこれらの諸説も,風土論とかかわるところが大きい。またウィットフォーゲルは,F.vonリヒトホーフェンの中国地理研究の成果を批判的に再構成して,中国をはじめとする灌漑社会の構造を論じた。現代の比較文化論のなかには,これらの諸説につながるものが少なくないが,しかし関心の所在は各社会や文化の部分にとどまり,それらを包み,育てる風土の全面に身を挺することに乏しい。風土への関心は,いまやエコロジー主義や地域主義(リージョナリズム)の流れとも密接に結ばれている。各地方のかけがえのなさの発見や多彩な価値体系の創造への期待とも関連するところの大きい風土論の発展のためには,各地域の比較研究にふさわしい学際的な共同体制が必要である。
執筆者:水津 一朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間の精神・生活様式として具現されている自然環境である。環境は主体とそれを取り巻く外囲とからなり、人間と環境の対応関係として分析されるが、風土は人間を含む全一体的な世界として総合された概念である。『漢書』地理志に現れた風土(フェンツ)は「風俗と水土の風気の関係」としている。風土は世界の一部である郷土、地方性をも意味し、地方的特色を示す生活様式、文化景観として示される。
風土に近い概念としては、古代ギリシアのクリマklima(現代では気候を意味する)、オイコスoikos(住地)があり、ヒポクラテスは環境の要素として空気、水、場所をあげた。環境の科学的研究と、生物あるいは人類と自然との関係は、A・フンボルトによって研究が基礎づけられ、のちに生態学(エコロジーすなわちオイコスの学)として発展した。人間に対する自然環境の影響と、自然の人間による改造は、F・ラッツェル、E・フェルス、C・O・サワーなどによって研究された。また地的統一を探究し、各地の生活様式を明らかにすることを人文地理学の基礎としたのは、P・ラ・ブラーシュであった。
19世紀より20世紀前半にわたる地理的環境研究の進歩に先駆けて、E・カントの「自然地理学」が講義され、その講席に連なったJ・G・ヘルデルが『風土の精神』をまとめ、人間の内面に刻まれた自然環境の性格を説いた。
和辻哲郎(わつじてつろう)は『風土――人間学的考察』(1935)を著し、人間の存在形式としての風土性について述べ、世界的視野から、モンスーン、砂漠、牧場の三例を採って、人間と自然との深いかかわり合いを説いた。さらに日本人の台風的性格についても論じている。『風土記(ふどき)』は古代官撰(かんせん)の地誌として8世紀に編集され、『出雲(いずも)国風土記』『常陸(ひたち)国風土記』など五風土記が残され、郡郷の地名、産物、山川原野名、伝承などを記録する。のち江戸時代には『新編武蔵(むさし)風土記稿』が編せられ、今日も地方誌を「風土記」とよぶことが多い。
諏訪(すわ)の三沢勝衛(かつえ)は、郷土の日常の実地調査に基づいて、養蚕、寒天製造、刃物工業などの土着産業における地方風、気温・水温などの影響を明らかにし、のちに『風土産業』(1952)として刊行された。郷土の人々の経験を聞き、村落の立地や家屋の構造などに、身辺の知恵が生かされている事実を発掘し解釈し、学生や郷土の人々にそれを広めた。
地理学をはじめ、民俗学、心理学、言語学などには風土が問題とされることが多い。柳田国男(やなぎたくにお)は、青森・秋田に咲くツバキが、長い冬ごもりの生活と黒々としたスギ・ヒバの針葉樹の中に、照葉樹の葉のつやと花の色が好まれて育てられたものと解した。近年では鈴木秀夫が気候学的基礎にたって、世界宗教の分布と特質を説明している。各地にはそれぞれ厳しい自然に適応した生活と文化があり、それらは、次の風土を育てる土壌として人々が耕しおこし続けるのである。
[木内信藏]
和辻哲郎の主著の一つ。1935年(昭和10)刊。「人間学的考察」という副題が付されている。自然環境がいかに人間生活を規定するかという問題でなしに、人間存在の構造契機としての風土性を明らかにしたもので、深い哲学的人間学に貫かれていると同時に、豊かな詩人的直観と体験とに裏づけられた滋味あふれる好著である。アジアからヨーロッパに至る地域を、南アジアを中心とするモンスーン地帯、西アジアの砂漠地帯、ヨーロッパの牧場地帯の三つに分け、モンスーン地帯には受容的忍従的生き方と汎神(はんしん)論的世界観が、砂漠地帯には戦闘的で団結と服従を重んずる生き方が、牧場地帯には自然のなかに法則をみいだす合理的生き方が生まれたとしている。そして日本人はモンスーン地帯の受容的忍従的生き方を基調とするが、東アジアは南アジアより四季の変化が激しいので、激情と淡泊なあきらめが混じり合っている点にその精神的特徴があるとみている。あまりに詩的な着想を批判する声もある。
[古川哲史]
『『風土』(岩波文庫)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…風土は中国起源の語で,元来,季節の循環に対応する土地の生命力を意味した。土地は,天地の交合によって天から与えられた光や熱,雨水などに恵まれているが,生命を培うこれらの力が地上を吹く風に宿ると考えられたのであろう。…
…日本倫理学会を創立(1950),文化勲章を受章した(1955)。著作は《ニイチェ研究》《ゼエレン・キェルケゴオル》《古寺巡礼》《風土》《日本古代文化》《原始仏教の実践哲学》《日本精神史研究》《鎖国》《倫理学》《日本倫理思想史》《桂離宮》《国民統合の象徴》など。このうち,特に有名なのは《古寺巡礼》(1919),《風土》(1935)である。…
…第1次世界大戦中,イギリス軍に勤務したが,このときの見聞をもとにして書いた小説《ブランブル大佐の沈黙》(1918)によって文壇に認められた。その後次々に小説を発表し,とくに《風土Climats》(1928)は繊細な恋愛心理の描写によって大成功を収めた。しかし彼の本領は伝記文学にあり,多数の伝記作品を書いた。…
※「風土」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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