イギリス18世紀初期の日刊のエッセー・ペーパー。アディソンJoseph AddisonとスティールRichard Steeleが1711年3月1日に創刊した。スティールは,1709年4月12日からアディソン,スウィフトJonathan Swiftら文人の協力をえて《タトラーTatler》(週3回刊)と題する,ビカスタッフIssac Bickerstaffという架空の語り手によるエッセー主体の新聞を出し,大きな成功を収めていた。彼らのエッセーは身辺雑記,そこはかとない感想をつづるものではなく,社会のモラル,マナーを改造しようという遠大な目的意識に貫かれていた。ニュース,政論のほかそうした読みもの,話題提供を歓迎する読者層が形成されつつあったのである。《タトラー》は11年1月2日に廃刊され,その後継紙としてエッセー紙の型を完成させたのがこの新聞である。最盛時には3000部以上売れ,《官報》を除き当時最大の発行部数を誇った。その文章,スタイルはこの世紀全般にわたって多くの模倣者を生み,大きな影響を残した。捺印法で打撃を受け,スティールが政論の分野にのり出すこともあって,12年12月6日に廃刊した。なお,同名でアディソンの単独編集による新聞(週3回刊)が14年6月18日~9月29日まで刊行された。
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 1695年,絶対王政型の事前検閲法規が消滅。1702年には日刊紙《デーリー・クーラント》が誕生,またアディソン,スティールの《スペクテーター》(1711刊)などの教養・娯楽紙も流行し,新聞は社会に定着する。31年にはケーブEdward Caveが《ジェントルマンズ・マガジン》を出し,総合雑誌の原型をつくった。…
…1709年,学校時代の旧友アディソンを誘って週3回の定期刊行物《タトラー》を創刊。その成功に勢いを得て11年に発行した《スペクテーター》も評判となった。続いて刊行した雑誌《ガーディアン》(1713)はホイッグ党色が強く,また彼自身議員(1713‐14)として活躍したが,スウィフトらと対立し議席を失った。…
※「スペクテーター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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