出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のダーイーの言及
【アッバース朝】より
…[ウマイヤ朝](661‐750)時代,幾度かの内乱や反乱が起こったが,そうしたウマイヤ家の支配に反抗する者たちの間から,イスラム教団国家の最高責任者として,イスラム法を施行できる唯一の資格ある者は,預言者ムハンマドの家族,すなわち〈ムハンマド家〉出身者でなければならず,その点ウマイヤ家は資格なしとする思想がしだいに広がった。ムハンマドの叔父アッバースの子孫であるアッバース家は,この思想を利用してウマイヤ朝打倒の地下運動を起こし,最高指導者が誰であるか名前を伏せたまま秘密の宣伝者(ダーイー)を各地に派遣した。この革命運動は,とりわけイランのホラーサーン地方で成功を収め,747年,宣伝者の[アブー・ムスリム]が在地のアラブ人や改宗イラン人を率いてメルブ(マルウ)近郊で武装蜂起し,やがて彼の派遣した軍隊はイラクに攻め込んで,749年にはアッバース家の当主[サッファーフ](アブー・アルアッバース)がクーファで[カリフ]たることを宣言,翌年にはエジプトに逃走したウマイヤ朝最後のカリフ,マルワーン2世が殺され,アッバース朝が正式に成立した。…
※「ダーイー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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