ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェチェン・ハン」の意味・わかりやすい解説 チェチェン・ハン(車臣汗)チェチェン・ハンChechen Khan 明末から清朝にかけて外モンゴル東部を占めたチェチェン・ハン部の部長の称号。ダヤン・ハン (達延汗)の末子ゲレサンジャは外ハルハに分封されたが,その第5男をアミン・ドゥラルという。その孫のシュロイが初めてチェチェン・ハンを称した。この称号は後裔たちに受継がれ,清末まで続いた。チェチェン・ハン部は清朝に入って 11旗に編成されたが,勢力の増大とともに 23旗にふえた。その本拠地はケルレン河畔にあり,東は黒竜江,南はシリンゴル (錫林郭勒) 盟,西はトゥシエト・ハン (土謝図汗)部,北はロシア領と接する領域を占めた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by