チマッティビンチェンツォ(その他表記)Cimatti Vincenzo

新撰 芸能人物事典 明治~平成 の解説

チマッティ ビンチェンツォ
Cimatti Vincenzo


国籍
イタリア

職業
宣教師 作曲家 ピアニスト

肩書
サレジオ短期大学学長

生年月日
1879年 7月15日

出生地
ファエンツア

学歴
パルマ王立音楽学校〔1900年〕卒

学位
博士号(自然科学 トリノ市王立大学),哲学博士(トリノ市王立大学)〔1906年〕

経歴
1905年神父となる。’25年サレジオ修道会第1回日本宣教師団の団長として来日し、九州地方で伝道従事。’33年宮崎市内に小神学校を設立。’35年宮崎県と大分県の教区長となり、’37年サレジオ会日本管区が新設されると管区長に就任した。戦後、東京サレジオ学園を設立して戦災孤児救済にあたった。大分に出版社のドン・ボスコ社を設立するなど新しい形の布教活動にも取り組んだ。また作曲家やピアニストとしても活躍し、初めて日本語のミサ曲を作曲した他、日本や満州などアジア各国で演奏会に出演した。他の作曲作品に歌劇「細川ガラシャ夫人」などがある。

受賞
勲三等瑞宝章

没年月日
1965年 10月6日

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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