満州(読み)マンシュウ

デジタル大辞泉 「満州」の意味・読み・例文・類語

まんしゅう〔マンシウ〕【満州/満洲】

中国東北地方の旧称。遼寧吉林黒竜江の東北三省と内モンゴル自治区の一部にわたる。→満州国

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精選版 日本国語大辞典 「満州」の意味・読み・例文・類語

まんしゅうマンシウ【満州・満洲】

  1. [ 1 ] 中国の東北地方の旧通称。清初、中国を支配した満州族が旧族称女真を廃して用い、その居住地域をもさしたもの。清朝の勢力の拡大につれて山海関以北をさし、中華民国の時代には奉天・吉林・黒龍江の東三省総称として用いられ、満州国建国後はその全領域の呼称として用いられた。
    1. [初出の実例]「御蔭にて吾党之もの清朝創業之国事喙三尺を長じ可申候。満洲諸地図も入候て猶又よろしく可有御坐候」(出典:吉田篁墩宛大田南畝書簡‐寛政九年(1797)四月一六日)
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 マージャン満貫をいう俗語

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百科事典マイペディア 「満州」の意味・わかりやすい解説

満州【まんしゅう】

中国東北地区の遼寧吉林黒竜江3省の旧称。興安嶺を西境とし,東北大平原を中心とする地域で,北と東はロシアに,南は朝鮮民主主義人民共和国に接する。古くは粛慎がいたといわれ,戦国時代には漢族が南満州に進出,漢魏時代には郡が置かれた。このため貊(ばく)人の中から夫余高句麗が興り,次いで【ゆう】婁(ゆうろう),勿吉(もっきつ),靺鞨(まっかつ)が活躍。その後,渤海(ぼっかい)が建国,契丹(きったん)がこれを滅ぼした後,女真を建てた。13世紀に金がモンゴルに滅ぼされた後は明の支配を受けたが,17世紀初頭,ヌルハチが興り,国号を後金(のち清)とし,民族名を女真から満州と改めた。清朝開創の特殊な地域とされ,奉天(のちの遼寧)・吉林・黒竜江の3省を東三省と呼び,漢族の流入を禁止した。しかし19世紀末には漢族が多く居住し,開発が進んだ。一方,ロシア勢力も進出したが,日露戦争以後日本が進出し,1932年満州国を建て,植民地化した。第2次大戦後,中国の東北地区として重要な工業地帯を形成している。
→関連項目関特演中国残留孤児張作霖爆殺事件二十一ヵ条要求日露協約日露戦争満州重工業開発[株]満州族満鉄

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「満州」の意味・わかりやすい解説

満州
まんしゅう

中国の地名、および民族名。ヨーロッパ人はマンチューリアManchuriaとよぶ。明(みん)末、この地方にいたツングース系の女真(じょしん)(女直(じょちょく))人は太祖ヌルハチに統一され、力を増大させていった。ヌルハチは自己の民族名を満州と改名した。これによって、それまで漠然と遼東(りょうとう)とよばれていた同地方もまた満州とよばれるようになった。満州という名の由来についてはいろいろな説があるが、当時この地方に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)信仰が広がっており、「文殊」の転音である満住、満珠に由来するという説がもっとも有力である。

 清(しん)代以降、満州とよばれるようになったこの地方は、古来、北方遊牧民族と漢民族の争奪の地であった。まず戦国時代には粛慎(しゅくしん)がいた。漢の武帝が当地方に四郡を置いたあと、高句麗(こうくり)が興り、しばらくこの地の覇者となった。その滅亡後、渤海(ぼっかい)国ができた。次にモンゴル系の契丹(きったん)族が強大化した。その後、女直人が華北まで支配する強大な金(きん)国を建てた。明代、女直人は海西(かいせい)、建州、野人(やじん)の三部に分かれていたが、建州女直のなかからヌルハチが出て女直族を統一、1616年後金(こうきん)国を建てた。それが発展して中国全土を支配する清朝となった。近代に入ると、まずロシアがこの地に侵入してきて、黒竜江以北およびウスリー川以東の地を奪った。遅れて日本の進出が始まり、ついに1931年、軍事侵略を開始し、翌年「満州国」という傀儡(かいらい)政権をつくり、完全植民地として1945年まで支配した。今日、満州の名は廃され、かわって中国東北とよばれるようになった。

[倉橋正直]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「満州」の意味・わかりやすい解説

満州
まんしゅう
Man-zhou; Man-chou; Man-churia

中国東北部の旧地域名。現在の東北地方で遼寧,吉林,黒竜江省の3省を中心とする地域。 10世紀以来,ジュシェンと自称するツングース系の女直 (→女真 ) 人の住地であり,朝,朝はこの地から興起した。満州の名は,清朝の建国とともにそれまで漢人やモンゴル人に対して自称していたジュシェンをやめてマンジュ (満州,文珠菩薩を意味する曼珠師利に起源するともいう) と称することと定めたのに始り,それ以後この地域を満州と呼ぶことが一般化した。満州南部 (遼河一帯) は漢人地帯に接していたため,古くから漢人も流入して農耕が行われたが,長白山脈,松花江,黒竜江地帯ではテンなどの毛皮,朝鮮にんじん,淡水産真珠の狩猟採取が行われた。 1932年にこの地域を占領した日本は満州国を建国したが,第2次世界大戦後に中国に復帰し,それとともに満州の名も消滅した。

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改訂新版 世界大百科事典 「満州」の意味・わかりやすい解説

満州(洲) (まんしゅう)
Mǎn zhōu

本来は清代に中国を支配していた満州族が旧来の女真という族称を廃して,満洲と改称したことに由来する。転じて,満州族の祖宗の地である中国東北部のことを日本では満州と呼び,中国以外の国々はマンチュリアManchuriaと呼んできた。ことに日本はこの地域に作った傀儡(かいらい)政権に満州国の名をつけた。中国ではこの地区のことを東北と呼び,満州とは呼ばない。侵略者による呼称であることが大きな理由である。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「満州」の解説

満州
まんしゅう

中国東北部を占める遼寧・吉林・黒竜江の東北3省をさす旧称。16世紀末,アルタイ系のツングース族からでたヌルハチがこの地域を統一してマンジュと称し,やがて漢字で満州の文字があてられ,欧米ではマンチュリアとよばれた。清朝は発祥の地としてこの地に将軍をおいて軍政を行わせたが,日露戦争後の1907年東三省として中国本部と同じく総督・巡部制をとった。11年辛亥革命後,総督は都督と名称をかえたが,張作霖(ちょうさくりん)が東三省支配の実権を握った。28年張が爆殺されたのちは子の張学良(がくりょう)が蒋介石(しょうかいせき)の国民政府に服し,熱河省を含めた東北4省は東北政務委員会によって統治された。

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世界大百科事典(旧版)内の満州の言及

【後金】より

の太祖ヌルハチの建てた国。ヌルハチは建州女真族の名家の出であったが,その25歳の1583年に祖父と父とを明軍に誤って殺されたのを機に,わずかの手勢をもって自立して女真族の統一事業に乗り出した。88年までに建州女真族の統一を達成したが,その間87年に本拠地の蘇子河畔にフェアラ城(今の遼寧省新賓県旧老城にあたる)を築いた。いっぽう明朝に対してはつとに恭順の態度をとって和好をつづけ,89年(万暦17)明から都督僉事(せんじ)に任ぜられ,95年には竜虎将軍に封ぜられた。…

【中国】より

…他に香港,澳門(マカオ)の問題。清朝では,(1)本部(内地ともいう),(2)藩部(内蒙古,外蒙古,回部すなわち西北のイスラム教徒地域,青海,チベット),(3)満州(清朝発祥の地なのでとくに直轄地とした)の三部建てで統治した。そのうち外蒙古はロシア革命の波及によって1924年にモンゴル人民共和国として独立している。…

【東北】より

…東北部にある遼寧,吉林,黒竜江3省の総称。かつて清王朝をつくった満州族の故地にあたるので,満州と呼ばれたこともある。清代には封禁の地とされ,漢族の入植を禁止していたが,ロシア帝国の東方への侵略が進展したため,辺防の必要から入植を認め,清末に至って上記3省を置いた。…

【封禁】より

…古くからの反乱発生地域や,少数民族居住地との境界となっている山地,水害のおそれのある水路,墓陵の地などが封禁とされた。しかし史上に最も有名なのは,清朝が漢人の満州地域への移住に対して施行した封禁令である。清朝はこの地域すなわち瀋陽・吉林・黒竜江三省地方は満州族発祥の地というのでその旗地の経営には大きな関心をはらった。…

【満州族】より

…1980年代に入って中国の民族政策が柔軟化し,非漢族が優遇されるようになると,〈満族〉と名乗り出る者が増え,1990年センサスでは985万人に及んだ。かつては固有の言語と文字を用いていたが(満州語),現在はほとんど使われず中国語が用いられている。シャーマンを信仰し,18世紀末までは祭祖・祭天の行事が盛んにおこなわれた。…

※「満州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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