戦災孤児(読み)センサイコジ

共同通信ニュース用語解説 「戦災孤児」の解説

戦災孤児

太平洋戦争後半になると、米軍のB29爆撃機などが日本各地を無差別爆撃。家が焼け、親と離れ離れになった子どもたちが戦災孤児と呼ばれるようになった。1948年の厚生省(当時)の調査によると、全国の戦災孤児(20歳以下)は約2万8千人。

45年3月10日の東京大空襲後は、上野駅周辺や地下道数カ所に路上生活者が集まった。総務省の資料によると、現在のJR上野駅と京成上野駅に通じる地下道には、45年11月に千数百人が住み着き、うち孤児が300~400人いたという。

孤児は物乞いや露店手伝い、靴磨き収入で飢えをしのいだ。窃盗スリも横行したため、警察が一斉取り締まりの「かり込み」を実施。多くは保護施設に収容されたが、劣悪な生活環境に耐えかね、脱走も相次いだ。

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精選版 日本国語大辞典 「戦災孤児」の意味・読み・例文・類語

せんさい‐こじ【戦災孤児】

  1. 〘 名詞 〙 戦災によってみなし児になった子ども。
    1. [初出の実例]「三人一組交替で映画や寄席にいってきた戦災孤児たちが」(出典:時の動き1947(1948)〈中野重治編〉孤児の灯)

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