日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミサ曲」の意味・わかりやすい解説
ミサ曲
みさきょく
missa ラテン語
missa イタリア語
mass 英語
messe フランス語
Messe ドイツ語
今日一般には、ローマ・カトリック教会のミサにおいて、通常文(1年を通じて同一の式文で歌われる)とよばれる五つの部分、「キリエkyrie」(あわれみの賛歌)、「グローリアgloria」(栄光の賛歌)、「クレドcredo」(信仰宣言)、「サンクトゥスsanctus」(感謝の賛歌)、「アニュス・デイAgnus Dei」(平和の賛歌)を多声的に作曲した音楽をいう。また、「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」とよばれるが、普通は別にして取り扱われる。
歴史的にみると、14世紀以降、ミサ通常文は通作的で多声に作曲される習慣が生まれた。14世紀中ごろのギヨーム・ド・マショーによる『ノートル・ダム・ミサ曲』は、全通常文を作曲した記念碑的作品で、1人の作曲家の手になる「ミサ」としては最初のものである。このミサの「グローリア」と「クレド」を除く部分では、グレゴリオ聖歌の旋律が定旋律(基礎となる旋律)として用いられているが、これはこのころのミサ曲の特徴の一端を示している。
15世紀に入ると、ミサ曲の創作は音楽活動のなかでも重要な位置を占めるようになる。とくにミサの各部分を同じ定旋律を用いて作曲していく「循環形式」が確立されるに伴って、ミサに統一的な要素が加えられていった。この点に関しては、ブルゴーニュ楽派を代表する作曲家ギヨーム・デュファイの功績があげられる。彼の後を受け、16世紀にかかる時代には、フランドル楽派とよばれる一群の作曲家が活躍するが、声部間で定旋律のモチーフを模倣していく「通模倣様式」を好んで用いた。とくにヨハネス・オケヘムやジョスカン・デ・プレなどが名作を残しており重要である。
このころまでのミサ曲の定旋律としては、〔1〕典礼的なもの、〔2〕世俗的なもの、〔3〕新たに創作されたものなどがみられたが、世俗的な素材がより好まれていた。とくに世俗歌曲の『武装した人』は、多くの作曲家に定旋律として用いられた。16世紀の後半になると、パロディー(もじり)・ミサが愛好された。これは、自作の、あるいは他の作曲家による既存のモテットやマドリガーレなどを借用、ミサ曲につくりかえたものである。このころの、そしてまたミサ曲の作曲家として重要なパレストリーナのミサの大半は、このパロディー・ミサに分類される。
パレストリーナの示した、作品における均整美は、その後の作曲家にとって模範として仰がれたが、17世紀以降、ミサ曲の創作には以前ほどの重要性はみいだされなくなっていった。また、それらの様式にも多様化が進んだ。そのようななかで、J・S・バッハによるミサ曲ロ短調(1733)と、ベートーベンの『荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』(1823完成)は、真の傑作に位置づけられる。19世紀以後のおもな作品としては、ブルックナーの交響楽的ミサ曲や、ストラビンスキーの管楽を伴ったミサなどがある。
[磯部二郎]