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カトリック教会のミサの式文から〈キリエ〉(あわれみの賛歌),〈グロリア〉(栄光の賛歌),〈クレド〉(信仰宣言),〈サンクトゥス〉(感謝の賛歌),〈アニュス・デイ〉(平和の賛歌)の5曲一組で作曲したものをいう。以上のような通常式文のほかに,ミサの挙式日や目的などによって定められた固有式文を併せて作曲したものもある。特殊なものに,死者のためのミサで歌われるレクイエムがある。プロテスタントでも,英国国教会ではカトリックのミサ曲がそのまま歌われることもあり,ルター派では〈キリエ〉と〈グロリア〉のみの〈短いミサKurzemesse(ドイツ語)〉の音楽が作られた。
グレゴリオ聖歌には,別々の曲であるが,それぞれの式文のいくつかの旋律が存在する。〈クレド〉を除く4曲は遅くとも8世紀までにはローマ典礼のミサに定着した。〈クレド〉は,スペインのモサラベ典礼では6世紀ころから歌われていたが,ローマ典礼に取り入れられたのは11世紀初頭であった。元来,通常式文の歌は一般信徒や下級聖職者が歌う素朴な歌であったが,10世紀になると専門的教会音楽家たちによって扱われるようになり,音楽芸術として進歩し,さらに11世紀以後,多声音楽の発展に伴い,合唱曲の形で数多く作曲されるようになる。14世紀にはG.deマショーが初めて通常式文の5曲を一貫して作曲し,以後,ミサ曲は統一的な楽曲形態として作られるようになる。16世紀末に至るまで,G.デュファイ,J.オケヘム,ジョスカン・デ・プレ,G.P.パレストリーナ,T.L.ビクトリアら当時のカトリック系作曲家はみなミサ曲を残している。またこの時代,日本にも歌ミサが伝えられ,1552年(天文21)の降誕祭に周防山口で初めて歌ミサが行われたとされている。
17世紀以後のヨーロッパでは,音楽の主流が宗教合唱曲から非宗教的な器楽,オペラなどへと変化していったため,ミサ曲のあり方も変化し,特別の式典あるいは演奏会用に独唱,合唱,管弦楽からなる大規模な作品が作られるようになる。J.S.バッハの《ロ短調ミサ曲》,モーツァルトの《戴冠式ミサ曲》,ベートーベンの《荘厳ミサ曲》,シューベルト,ブルックナーらのミサ曲がそれである。また20世紀ではヤナーチェク(教会スラブ語訳),プーランク,ストラビンスキーらがミサ曲を書いているが,音楽作品としての性格が強く,典礼との結びつきは弱い。他方,カトリック教会では第2バチカン公会議以後,各国の母国語によるミサを許すようになったため,大衆的なフォーク・ソングや,アフリカ音楽を用いた自由なミサが教会で行われるという変化が起こった。日本のカトリック教会でも日本語によるミサ曲が新たに作られ,歌われるようになり,伝統的なグレゴリオ聖歌などのラテン語のミサ曲はしだいに歌われなくなってきている。
→ミサ
執筆者:坂崎 紀
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今日一般には、ローマ・カトリック教会のミサにおいて、通常文(1年を通じて同一の式文で歌われる)とよばれる五つの部分、「キリエkyrie」(あわれみの賛歌)、「グローリアgloria」(栄光の賛歌)、「クレドcredo」(信仰宣言)、「サンクトゥスsanctus」(感謝の賛歌)、「アニュス・デイAgnus Dei」(平和の賛歌)を多声的に作曲した音楽をいう。また、「レクイエム」は「死者のためのミサ曲」とよばれるが、普通は別にして取り扱われる。
歴史的にみると、14世紀以降、ミサ通常文は通作的で多声に作曲される習慣が生まれた。14世紀中ごろのギヨーム・ド・マショーによる『ノートル・ダム・ミサ曲』は、全通常文を作曲した記念碑的作品で、1人の作曲家の手になる「ミサ」としては最初のものである。このミサの「グローリア」と「クレド」を除く部分では、グレゴリオ聖歌の旋律が定旋律(基礎となる旋律)として用いられているが、これはこのころのミサ曲の特徴の一端を示している。
15世紀に入ると、ミサ曲の創作は音楽活動のなかでも重要な位置を占めるようになる。とくにミサの各部分を同じ定旋律を用いて作曲していく「循環形式」が確立されるに伴って、ミサに統一的な要素が加えられていった。この点に関しては、ブルゴーニュ楽派を代表する作曲家ギヨーム・デュファイの功績があげられる。彼の後を受け、16世紀にかかる時代には、フランドル楽派とよばれる一群の作曲家が活躍するが、声部間で定旋律のモチーフを模倣していく「通模倣様式」を好んで用いた。とくにヨハネス・オケヘムやジョスカン・デ・プレなどが名作を残しており重要である。
このころまでのミサ曲の定旋律としては、〔1〕典礼的なもの、〔2〕世俗的なもの、〔3〕新たに創作されたものなどがみられたが、世俗的な素材がより好まれていた。とくに世俗歌曲の『武装した人』は、多くの作曲家に定旋律として用いられた。16世紀の後半になると、パロディー(もじり)・ミサが愛好された。これは、自作の、あるいは他の作曲家による既存のモテットやマドリガーレなどを借用、ミサ曲につくりかえたものである。このころの、そしてまたミサ曲の作曲家として重要なパレストリーナのミサの大半は、このパロディー・ミサに分類される。
パレストリーナの示した、作品における均整美は、その後の作曲家にとって模範として仰がれたが、17世紀以降、ミサ曲の創作には以前ほどの重要性はみいだされなくなっていった。また、それらの様式にも多様化が進んだ。そのようななかで、J・S・バッハによるミサ曲ロ短調(1733)と、ベートーベンの『荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』(1823完成)は、真の傑作に位置づけられる。19世紀以後のおもな作品としては、ブルックナーの交響楽的ミサ曲や、ストラビンスキーの管楽を伴ったミサなどがある。
[磯部二郎]
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…ただし,他の宗教にも数多くの宗派宗旨があるように,キリスト教にも,カトリックとプロテスタントの二大教会の別があり,それぞれの内部に数多くの教派があって,音楽的伝統も一様ではない。芸術的に見た場合,それらの中でとくに重要なのは,パレストリーナやベートーベンのミサ曲によって代表されるローマ・カトリック教会,バッハのカンタータや受難曲によって代表されるルター派のドイツ福音主義教会,パーセルのアンセムやヘンデルのオラトリオによって代表される英国国教会,ボルトニャンスキーの教会コンチェルトによって代表されるロシア正教会などである。 イエス・キリストの生涯を書き記した新約聖書の福音書には,ただ1ヵ所だけ音楽に言及した個所がある。…
※「ミサ曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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