改訂新版 世界大百科事典 「チャルドランの戦」の意味・わかりやすい解説
チャルドランの戦 (チャルドランのたたかい)
1514年,トルコ東部,ワン湖北東約40kmにあるチャルドランÇaldıran(ペルシア語ではチャールデラーンChālderān)の野で行われたオスマン帝国のセリム1世とサファビー朝のイスマーイール1世との戦い。サファビー朝はシーア派イスラムを国教とし,シーア派イスラム教徒の多数住むアナトリア東部でも政治的・宗教的宣伝活動を展開,そのため同地域では反オスマン帝国の民衆暴動が頻発した。また1512年セリム1世が即位したとき,イスマーイール1世は彼の政敵を援助した。そこで14年セリム1世は10万の大軍を率いて東進,8月23日両軍はチャルドランで激突した。5時間半に及ぶ激戦の末,大砲・小銃を欠き,兵員数でも劣ったサファビー軍が敗れ,一時は首都タブリーズもオスマン軍に占領された。敗れたイスマーイール1世は非常な精神的打撃を受け,以後二度と軍を率いることなく,24年38歳の若さで世を去った。一方,この勝利で勢いを得たセリム1世は外征を続け,ディヤルバクルを征服,シリア,エジプトを属領化した。
執筆者:羽田 亨一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報