国教とは、国家がその制度のなかに定立する宗派ないしは教会であって、一般に全国民を同一の教会組織の支配のもとに置き、その教えの遵奉を国民の義務とする。宗教的帰属と国民的資格要件が同一視されている点では、古代の祭政一致と似ているが、国教は、政治組織と宗教組織の分化を前提としているのであって、合致宗教集団を基盤とする古代あるいは未開社会の宗教と政治の一致とは異なる。
国家権力が特定の教会組織を国教とした初めての例は、コンスタンティヌス帝(在位306~337)治下のローマ帝国によるキリスト教の公認であったといわれる。ゲルマンの諸国においては、8世紀ごろまでに、聖職者の任免、司教会議の開催などに国王が介入し、国家権力による教会組織の支配が常態化した。教皇併立時代には、ガリカニズムとよばれる教皇の権限を制限する理論が発達し、フランス国王シャルル7世は、ブールジュの国本勅諚(ちょくじょう)(1438)によってフランス教会における教皇の権利をほとんどすべて奪い取ってしまった。16世紀には、エラストゥスが、教会は国家権力から独立に権力をもつことはないと主張し、教会組織の国家体制への従属を理論化した。
近代国家の形成に際しては、単一民族の範囲を越えて多言語・多宗教の国民を統治するためのさまざまな試みが現れた。ことに19世紀後半には、バイエルンやプロイセンでカトリックとプロテスタントを一丸とした国民教会の定立運動が推進されていたが、明治憲法の起草に先だってヨーロッパに調査に赴いた伊藤博文(ひろぶみ)などが国教の必要を聞き、それに相当するものとして天皇の神格化を案出したことは、戦前の日本で実質的な国教として定立された国家神道(しんとう)の起源を認識する際に留意すべき点である。
一方イスラム圏に関していえば、ここでは政教の合一がその基本である。サウジアラビア、イラン、パキスタンなどがイスラムを国教としているのはもとより、多数の中国系非イスラム国民を抱えているマレーシアでも、イスラムを憲法上国教と定め、各州スルタンの権威の尊重とマレー系ムスリムの優遇を政策としている。インドネシアの建国五原則「パンチャ・シラ」も、その第1項は唯一絶対神への帰依をうたっており、同国は世俗国家ではなく、一種の宗教国家であるとの自己規定をしているのである。
仏教圏についてみても、すでに古代インドのマウリヤ王朝でアショカ王が仏教を庇護(ひご)したことに始まり、その北伝、南伝が各地の王朝との結合によったことは、歴史の示すところである。第二次世界大戦後の民族主義の高まりのなかでは、タイ、ビルマ(ミャンマー)など仏教を国づくりの根幹に置いた国々が少なくなく、世俗国家を指向したインドなどとは対照的な方向が現存する。
国家主義の形成と国教の定立とは、歩調をあわせて進捗(しんちょく)した。今日においても、アメリカやフランス、インドや日本などいくつかの国が政教分離制度を採用する一方で、第三世界やヨーロッパの多くの国々が国教を定立している。国教制度のもとで、国家は特定の宗教組織に独占的な権限と地位を認め、国教たる宗教組織は国家権力の絶対性と国民の統合を儀礼の執行やその正統性の教義などによって支援する。国教の制度は、政治規範と宗教規範が相互依存的である点において、両者の独立を前提とする政教分離の制度の対極をなしている。
[阿部美哉]
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