デ・ラダ(その他表記)De Rada Jeronim (Girolamo)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「デ・ラダ」の意味・わかりやすい解説

デ・ラダ
De Rada Jeronim (Girolamo)

[生]1814.11.29. イタリア,マッキア・アルバネーゼ
[没]1903.2.28. イタリア,マッキア・アルバネーゼ
アルバニア詩人。南イタリアに移住したアルバニア人集落の,司祭の家に生れた。ナポリで法律を学び,アルバニア人学校の教師となる。アルバニア,イタリア両言語による雑誌『アルバニアの旗』 Fjamuri i Arbërit (1883~87) を発行し,アルバニア文学の発展に尽力。代表作,叙事詩『ミロサオの歌』 Këngët e Milosaos (36) ,『不幸なスカンデルベウ』 Skënderbeu i pafat (76~84) 。 (→アルバニア文学 )

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のデ・ラダの言及

【アルバニア】より

… 15世紀後半から16世紀にかけて,オスマン・トルコによる支配から逃れて多くのアルバニア人が南イタリアとシチリアに移住したが,これらいわゆるアルバレシュ人の間に独自の文学伝統が生まれて,現在にいたっている。19世紀の詩人デ・ラダJeronim de Rada(1814‐1903),ダラGavril Dara(1826‐85),セレンベZef Serembe(1843‐1901)らの活動はその頂点をなすものであった。アルバニア本国ではイスラム教へ改宗するアルバニア人が増えるにつれて,17~18世紀にトルコ,ペルシア,アラブの文学の影響が強まり,アラビア文字でアルバニア語を表現する独特の詩文学が発達した。…

※「デ・ラダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む