翻訳|epic
現在用いられている叙事詩という語は,明治以降,ヨーロッパ語を翻訳したものであるが,近代ヨーロッパ諸語におけるこの語の源はギリシア語にさかのぼる。すなわち,はじめはエポスepos(言葉で表されたもの)とポイエインpoiein(作る,製作する)とを合成して作られ,それは韻文で話を語ることを指していた。
近代ヨーロッパにおいて,叙事詩という語が一般に用いられるようになったとき,人々はホメロスの《イーリアス》《オデュッセイア》を最高の模範とみなしながら,ある特定の文学ジャンルを明確に指す用語として使用したのである。それによれば,叙事詩とは,ある歴史的な事件,あるいは民族全体にかかわる伝説上の事件において,華々しい英雄的な功業を遂げた人物の行動を,韻文形式で語る文学作品を意味した。したがって,そこでは勇気,崇高な魂,卓抜な行動力等々,身心両面における能力や美徳を完璧に備えていることが最高の価値とされる。
そのような英雄の行為を中心として,大規模な事件の推移を叙述してゆくのであるから,叙事詩は必然的に一定の長さを要求する。しかしそれがいかに長大であろうと,そこには時間の推移に従う段階的な展開の区切りが伴われずにいないから,叙事詩もその区切りに応じて,換言すれば事件が進行してゆくおのおのの場面に従って,そのときどきの英雄の行動・勲功を歌う形をとることになる。例えば《オデュッセイア》においては,10年間におよぶ漂流の各局面におけるオデュッセウスの行動を叙述する部分を積み重ねることによって,全体が形成されるのである。そして各部分の中心は,英雄のその折々の言動を語ることに置かれるから,全体として,叙事詩は説話性を重要な要素とする結果になる。それが文学ジャンルとしての叙事詩の一つの特徴である。また,英雄の行為を中心として事件の展開を語ってゆく叙事詩においては,詩人の主観的な感情・情緒の表出は抑制されなければならない。その点において,叙事詩は抒情詩と対立する。つまり叙事詩の詩人は,詩そのものの背後に隠れ,事件全体についてすべてを知っている者という,いわば客観的な明察者の立場において語ることを求められるのである。
ヨーロッパ文学の伝統において,最古の叙事詩は,いうまでもなく前8世紀ころに出現し,古代ギリシア文学の濫觴(らんしよう)となったホメロスの作品である。英雄の行為にたいする賛美,説話性,事件の全貌に精通した明察者という立場を前提とする詩的ディスクール等々,叙事詩の特質とみなされる要素は,すでにホメロスのなかにすべて強力に現れていた。ホメロスに少し遅れて登場したヘシオドスには,ホメロス的な英雄伝説を扱った作品もあるようだが,叙事詩人としての彼の功績は,宇宙創世の秘密を究めたり,最高神ゼウスの力の根源を探ったりする《神統記》において,また農耕生活の正しいありかたを述べた《労働と日々》において,叙事詩の領分を拡大したことにあると言えよう。
その後,古代ギリシアにおいて叙事詩の伝統はあまり強力に受けつがれず,前記の二大詩人のあと消滅したにひとしいが,しかしギリシアで形成されたこの文学ジャンルは,やがてローマ文学を豊かにする重要な糧となる。ルクレティウスの哲学詩は,ただ叙事詩的な詩的ディスクールを活用しているということだけでなく,世界や自然の原理と構造に関する想像を詩的に繰り広げてゆくその本質において,広義の叙事詩の範疇に組み入れられる。また,ローマ人の理想的な英雄の勇壮かつ高潔な行動を歌ったウェルギリウスは,ホメロスのあとを受けて,叙事詩の強力な範型を創造した名として逸することができない。
叙事詩は,中世ヨーロッパにおいても数々の注目すべき作品を産み出した。代表的なものを挙げれば,シャルルマーニュのスペイン進攻の史実に題材をとり,11世紀に成立したと見られるフランスの《ローランの歌》,民族移動時代以来のゲルマン民族の数々の英雄伝説から題材をとり,12世紀末ないし13世紀初頭に成立したドイツの《ニーベルンゲンの歌》がある。少し後になるが,イタリアのアリオストの《狂えるオルランド》,タッソーの《解放されたエルサレム》などは,ルネサンス的精神を横溢させた叙事詩である。またダンテの《神曲》においても,叙事詩的な特質は作品の重要な側面を形成している。また,北欧では,古神話,英雄伝説を集成した《エッダ》が誕生した。
近代ヨーロッパにおいても,たとえばミルトンの《失楽園》のように,叙事詩の伝統につらなる重要な作品は産み出されたが,文学ジャンルとしての叙事詩の占める重要性は,しだいに減少してゆく。ひと言でいえば,それは叙事詩というものの特質が,近代世界を表現するにふさわしいものでなくなったということになろうが,叙事詩そのものは後退しても,叙事詩的なものが文学の世界から消滅してしまうわけではもちろんない。近代ヨーロッパにおいては,それはしばしば小説作品のなかで追究されるようになり,そのもっとも顕著な一例として,社会全体の壁画的表現をめざしたバルザックの《人間喜劇》を挙げることもできよう。
非ヨーロッパ世界における最大の叙事詩は,古代インドの《マハーバーラタ》と《ラーマーヤナ》である。〈バーラタ族の戦争を語る大史詩〉と副題された《マハーバーラタ》は,長いあいだ口誦文学として種々の変形を受けたあと,4世紀ころに最終的な形を整えたとされている。《ラーマーヤナ》は古代インドの英雄ラーマ王の武勇譚的伝説を題材として,紀元前から長年月をかけて形成されたのち,2世紀ころに現存の形に達したと推定されている。ヨーロッパの叙事詩の特質と異なる点も少なくないが,ともに民族の歴史と伝説を力強く表現し,後代のインド文学に大きな影響を及ぼした作品として特筆されるべきであろう。
日常的な人事に関する感慨,自然に対する感情を中心としてきた中国の詩においては,後述のように叙事的要素は重要な部分を占めることがなく,見るべき叙事詩の作品は出現しなかった。日本でも,アイヌを除けば,独立したジャンルとして叙事詩が創造されることはなく,英雄伝説を語る叙事詩的要素は,古代文学においては,《日本書紀》《古事記》の一部に取りこまれたり,《万葉集》の柿本人麻呂の長歌において表現された。《平家物語》をはじめとする中世の軍記物においても,叙事詩的な要素は見当たるけれども,それがジャンルの特性を決定する力になっているとは言いがたい。日本文学においては,叙事性が詩と結びつく伝統が明確には形成されなかったのである。
執筆者:菅野 昭正
中国にも,ギリシア・ローマにおけるような形の叙事詩は存在しなかった。それは中国最古の詩集である《詩経》が,もっぱら日常の次元の感情をうたう短い抒情詩から成る事実にも,側面的に反映されている。また叙事詩の成立と深いかかわりを持つ神話も,〈怪力乱神〉を排する儒家に尊重されず,その保存状況は貧弱である。ただし,《詩経》の中にも,例外的にではあるが,大雅〈生民(せいみん)〉の詩のように,叙事詩的な性質を備える作品がないではない。これは周王朝の遠祖で,農業の発明者后稷(こうしよく)をたたえるもので,全72句というかなり長い篇中に展開される。悲劇の英雄をうたった《楚辞》の〈離騒〉にも,叙事詩の要素はあるが,全体としてはやはり抒情的な傾向が強い。後漢のころ現れた楽府(がふ)と呼ばれる歌謡には,物語的な内容を持つ長い作品があり,広い意味での叙事詩の一種とみなすことができる。〈陌上桑(はくじようそう)〉や,〈焦仲卿(しようちゆうけい)の妻の為に作る〉は,その代表作である。
→詩 →抒情詩
執筆者:興膳 宏
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一般的には伝説的な英雄についての壮大な物語詩をいう。その場合、叙情詩のように個人の感情を歌うのが目的ではなくて、作者の属している民族あるいは国民の共同の意識を代弁するのが特徴である。
古い口誦(こうしょう)叙事詩としては、『ギルガメシュ物語』『オデュッセイア』『イリアス』『エッダ』、それに『ベオウルフ』などがある。それらはバラードや古歌などに歌われていた神話や伝説を寄せ集めてしだいに成立したもので、ホメロスのような吟唱詩人がリラなどにあわせて朗誦したものである。叙事詩の表現の特徴は、物語のなかばから始め、過去のいきさつを語り、そしてクライマックスと結末に導く手法にある。各人物や事象に「策にたけたオデュッセウス」とか「葡萄酒(ぶどうしゅ)色の暗い海」など、性質を表す一定の修飾語をつけたり、また壮大な場面を描くために延々と長い比喩(ひゆ)を使ったりすることも、特徴の一つである。
原始的な口誦の叙事詩は英雄時代に成立したものだが、次にその形式に倣ってローマ時代以降に書かれた文学的叙事詩がある。その代表的な作品としては、ウェルギリウスの『アエネイス』、オウィディウスの『転身譜』などがある。前者はホメロスに倣って、トロヤ戦争後のローマ建国の物語を扱ったもので、その手法もホメロスに近く、主人公として英雄のアエネアスがいるが、オウィディウスになると、ばらばらな挿話の寄せ集めで、中心となる主人公もいなければ、共同体の代弁者の意識もない。中世にはフランスの『ロランの歌』やドイツの『ニーベルンゲンの歌』などのほかに、ダンテの『神曲』(1307~21)が書かれ、また近世には聖書の楽園喪失の物語を扱ったミルトンの『失楽園』(1667)などが生まれているが、これらはそれぞれの時代精神を統一する意味で、叙事詩的性格を備えている。
その後、18世紀以降は市民社会が成立するにつれて、社会全体を統一するような英雄的人物が消滅し、ポープの『毛髪掠奪(りゃくだつ)』(1712)のように卑近な題材を叙事詩的形式で扱う「擬叙事詩」が流行した。しかし叙事詩的志向が完全に消滅してしまったわけでなく、ロマン主義時代のメルビルの小説『白鯨』(1851)や、トルストイの『戦争と平和』(1864~69)などは散文による一種の叙事詩である。現代詩人ではエズラ・パウンド、W・C・ウィリアムズ、ハート・クレインなどは従来の語りにかわりモンタージュ的な手法を用いて意識の叙事詩を試みている。
[新倉俊一]
『古事記』のなかの「みつみつし 久米(くめ)の子等(こら)が/粟生(あはふ)には かみら一もと/そねがもと そね芽(め)つなぎて/うちてしやまむ」などの一群の歌謡に、英雄時代を想定して、失われた叙事詩の時代があったのではないかと想定する人も一部にいるが、現実には西欧でいうような民族叙事詩は一つも存在しない。『平家物語』のような戦記物語の詩的散文でも、一族の栄枯盛衰をめぐる「諸行無常」や「もののあはれ」の私的表白が基調をなしており、民族精神の共同体意識が基盤をなしていない。
[新倉俊一]
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(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)
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… だが,それだからといって,韻文作品がすなわち詩であるということにはならない。韻文で書かれた伝承的英雄物語(叙事詩)や,韻文で書かれた運命劇(劇詩)は,かつてはそれぞれ詩の重要な一部門をなすと考えられていたが,今日ではむしろ,詩としてよりも物語として,演劇としての特性から評価される傾向にあり,詩はもっぱら抒情詩を中心として考えられるようになった。この傾向は,文芸思潮史の上では,西欧の18世紀後半から19世紀にかけてのロマン主義以降に顕著となったもので,時代的にははるかに遅れて発足した日本の新体詩においても,その最初期にこそ叙事詩や劇詩,さらには教訓詩などが試みられたものの,ロマン主義思潮の導入とともに同じ傾向を示すようになった。…
※「叙事詩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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