改訂新版 世界大百科事典 「トルノジョヨ」の意味・わかりやすい解説
トルノジョヨ
Trunojoyo
生没年:1649?-80
インドネシア,マドゥラ島の王子で,マタラム・イスラム王国に対する反乱の指導者。父を1656年にマタラムの宮廷で殺され,自身も生命の危険を感じてマドゥラに逃れた経験があり,マタラム北東方の領主ラデン・カジョランと提携してマタラム王アマンクラット1世に対し75年に反乱を起こした。当時マカッサル(スラウェシ南西端の港市。現,ウジュン・パンダン)から移住してジャワ東岸で海賊を働いていたマカッサル人もこれに呼応し,反乱軍はたちまち東部ジャワ全域と中部ジャワの一部を征服し,トルノジョヨはクディリに都した。王都プレレッドを追われたアマンクラット1世は逃亡中病死し,その王子はオランダ東インド会社の援助を要請した。オランダ軍は78年に反乱軍の根拠地クディリを占領し,79年末にトルノジョヨを捕らえ,翌年斬罪に処した。オランダのジャワ内政介入の端緒をつくった重要な戦乱である。
執筆者:永積 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報