日本大百科全書(ニッポニカ) 「マタラム」の意味・わかりやすい解説
マタラム
またらむ
Mataram
中部ジャワに成立したイスラム王国(1582ころ~1755)。建国の時期と事情については不明な点が多い。3代目の王パヌムバハン・セナパティ・インガラガ(在位1584ころ~1602ころ)の時代から武力による周辺地域の征服が始まり、4代目の王スルタン・アグン(在位1613~45)の時代にジャワ中部、東部のほとんどを支配下に収め、二度にわたってオランダ東インド会社の根拠地バタビア(ジャカルタ)を攻撃した。その子アマンクラット1世(在位1645~77)はオランダ東インド会社とは友好関係を維持したが、国内では反対者を殺すなどして独裁的地位を固めた。このためマドゥラの領主トゥルナジャヤが1674年に反乱を起こした。国王は会社に援助を求めてこれを鎮圧したが(1682)、このときから王国は会社の干渉を受けるようになったうえ、領土の割譲を迫られた。
こののち王国では二度にわたる王位継承戦争(1703、1719~23)、1744年のバタビア華僑(かきょう)のオランダに対する反乱の応援のための戦争があり、そのたびごとに会社の介入が起こり、北海岸に面した領土のすべてを失った。オランダはむしろ国王の権威を利用して間接的に領土を支配する政策をとったが、たまたま東インド総督ファン・イムホフVan Im'hof(在任1743~50)の失敗から第三次の王位継承戦争が起こった(1749~57)。これは実質的にはオランダのマタラム支配に対する抵抗であったが、オランダは反乱軍内部の対立を利用してこれを鎮圧し、ついで1755年に、まだ残っていた王国の領土をジョクジャカルタのスルタン領とスラカルタのススフナン侯領に分割し、王国の歴史は終わった。
[生田 滋]