日本大百科全書(ニッポニカ) 「マドゥラ島」の意味・わかりやすい解説
マドゥラ島
まどぅらとう
Pulau Madura
インドネシア、ジャワ島北東岸にある島。北はジャワ海、南はマドゥラ海峡に面し、西は狭いスラバヤ水道を隔ててジャワ島のスラバヤと対する。東西約160キロメートル、南北約38キロメートル、面積4470平方キロメートル。石灰岩の丘陵性地形をなし、最高地点は東部にあるタンブクー山(471メートル)である。全島がよく耕地化され、耕地面積は総面積の80%以上を占める。米、タバコ、天然ゴム、トウモロコシ、キャッサバなどが栽培される。牧牛も島の経済を支える重要な産業で、肉牛としてジャワ島に移出される。インドネシアでも有数の人口稠密(ちゅうみつ)な島である。中心地は南岸のパメカサン。
[上野福男]
住民
島の人口の大半を、この島を本拠地とするマドゥラ人が占める。マドゥラ人はマドゥラ語を母語とするマレー系の民族で、内陸部での畑作、水田稲作、畜牛、海岸部での沿海漁業を営むほか、とくに19世紀からジャワ島東部を中心に開拓移民として移り住むようになり、島での人口の2倍以上のマドゥラ人がジャワ島やカリマンタン(ボルネオ)島などに住む。インドネシア全体でのマドゥラ人の人口は約1256万(1990推計)。耕地の間に屋敷地が点在し、既婚の女性が親の敷地内に新居をつくり息子が婚出する妻方居住が一般的で、母系に傾斜した拡大家族による居住集団が重要な社会的まとまりだった。しかし相続は双系的で家計は核家族単位が基本である。島には水田が畑の4分の1しかなく、そこでの稲やトウモロコシ生産のほか、ウシを飼ってジャワなどへ輸出するのが貴重な収入源であり、9月に島の各地で催される有名な牛競走もそうした生業を背景にしている。マジャパイト王朝の時代からジャワの王国の影響下で有力者が土侯国を築き、独特のモチーフのバティックや宮廷舞踊を生み出してきた。またイスラム教の信仰が厚いことでも知られる。
[鏡味治也]