…明治の東京では素(す)浄瑠璃の形式で大流行するが,その基礎を作ったのは,82年に名古屋から再度上京した竹本京枝と,大阪で盛名をはせていた竹本東玉の東上(1885)である。やがて竹本綾之助や竹本住之助らの出現で女義太夫の隆盛を迎え,青壮年層を魅了し,客席からひいきの女義太夫に〈どうする,どうする〉と口拍子をかける熱狂的ファン・グループの〈どうする連〉を輩出させる。そのため1900年には風紀紊乱で社会問題化するが,豊竹呂昇(ろしよう)(1924引退)の活躍を最後に衰退した。…
※「どうする連」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」