日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドゥルティ」の意味・わかりやすい解説
ドゥルティ
どぅるてぃ
Buenaventura Durruti Dumange
(1896―1936)
スペインの活動的アナキスト。レオンの社会党系組合に属して1917年のゼネストに参加ののち、フランスに亡命。1920年に帰国して以後、アナキスト活動家として有名になる。各地でテロル、資金調達を指揮し、亡命を繰り返し、南米では資金調達、パリでは訪問中のアルフォンソ13世暗殺を試みた。1931年の共和制成立で帰国、1932年、1933年の全国蜂起(ほうき)を指導するなどしてたびたび逮捕された。1936年7月に勃発(ぼっぱつ)したスペイン内乱では、バルセロナの反乱軍を破り、アラゴン戦線で民兵を率いて戦うなど活躍したが、マドリード防衛戦に参加直後、1936年11月19日、銃弾を受け、翌朝死亡。敵弾による死か、事故死か、暗殺か、彼の死をめぐっては、当時から現在まで論争が続いている。理論家、組合活動家ではなく、行動的アナキストの象徴的存在であった。
[中塚次郎]
『H・M・エンツェンスベルガー著、野村修訳『スペインの短い夏』(1973・晶文社)』▽『アベル・パス著、渡辺雅哉訳『スペイン革命のなかのドゥルーティ』(2001・れんが書房新社)』