改訂新版 世界大百科事典 「ドリビエ」の意味・わかりやすい解説
ドリビエ
Pierre Dolivier
生没年:1746-1830
フランス革命期の民衆運動の理論的代弁者で平等主義的な社会改革論者。中部フランスの公証人の家に生まれ,神学校に学び,オーベルニュ地方の山村の助任司祭になったが,迷信を排撃したことが契機になってそこを追われ,1784年にパリ南方のモーシャンという小さな村の司祭に就任した。貧しい農民の窮状を見て平等主義的改革思想を抱くにいたった彼は,革命中の1792年春,近くのエタンプで穀物価格の統制を要求する一揆が発生すると,貧農や民衆の要求を正当化するために,生存権の優位に基づく経済統制の実施,富の不平等の是正,土地所有権の制限を主張した請願書を議会に送り,これを読んだロベスピエールに大きな影響を与えた。さらに93年には《本源的正義論》を著して,大農場の分割による土地所有の平等を主張し,のちにバブーフともつながりをもった。彼の思想は,資本主義の発展によって没落しつつあった貧農や民衆の要求を代弁し,共同体の復活によって平等主義を実現しようとするものであった。革命後の彼の生涯については不明な点が多いが,ベルサイユの中学校で教師をしたのち,1830年にブルターニュ地方で死去したことがほぼ確実とされている。
執筆者:遅塚 忠躬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報