日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヌーリー・サイード」の意味・わかりやすい解説
ヌーリー・サイード
ぬーりーさいーど
Nūrī al-Sa‘īd
(1888―1958)
イラクの軍人、政治家。バグダードに生まれる。イスタンブールの陸軍士官学校を卒業後オスマン帝国軍の将校となる。1916年ハーシム家が統率したオスマン帝国に対するアラブの反乱に参加する。のちイラクに移り、1921年イラク軍参謀長、1922~1924年と1926~1928年に国防相となる。1930年首相となり、以後その死に至るまで28年間に14回首相となる。その間イギリスとの協調路線をとり、ハーシム家の願望である三日月地帯統一計画を構想した。他方、共産主義者やソ連を嫌うとともに、アラブ内ではエジプトとくにナセルと激しく対立した。1958年の7月革命で殺害された。
[木村喜博]
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