ノビリス
nobilis
古代ローマの官職貴族。ラテン語で〈よく知られた者〉の意。前2世紀初め以降は,元老院身分中の最高の層,とくにコンスル(執政官)およびその男系の子孫を指す。政務官職の門がプレブス(平民)にも開かれるとともに,パトリキ(血統貴族),プレブスの名門層が元老院貴族を構成することになり,その中に高級政務官職を占めた層,およびその子孫が特権的な社会層をつくりあげる。それらがまずノビリスと呼ばれ,前200年ころからとくにコンスルを出した家が特別な層を形成し,上下の保護隷属関係(パトロキニウム)によって権力を培い,政権をたらい回ししながら国政をリードしてゆく。ノビリスは元老院貴族からたえず補充された(新人)が,その数は少なかった。帝政期には,共和政期およびアウグストゥス時代のコンスルの子孫しかノビリスとみなされなかった。
執筆者:長谷川 博隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ノビリス
古代ローマの官職貴族。〈よく知られた者〉の意。元老院身分中の最上層者。厳密にはコンスルおよびその男系子孫をさす。→パトリキ
→関連項目プレブス
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
世界大百科事典(旧版)内のノビリスの言及
【貴族】より
…ローマでも,王政に続く共和政期に,諸氏族を基盤とする出生貴族([パトリキ])の支配が見られ,その政治的拠点は元老院であった。前3世紀における貴族と平民との身分闘争ののち,新しい型の官職貴族([ノビリス])が形成されて旧貴族に取って代わり,この新貴族がコンスルなど国家の最高官職を占めた。元老院を中核とする貴族勢力は帝政のもとでも存続し,皇帝によるパトリキの新設もときに行われたが,2世紀以降,大土地所有制の変質による社会の構造変化にともない,伝統的な貴族支配の原理は力を失っていった。…
【パトロキニウム】より
…本来は,また狭義には,一種の身分的存在たる[クリエンテス](被保護者)とそのパトロンとの信義(フィデスfides)を紐帯とする関係を指すが,しだいにそれと並んで,またそれに代わって政治・社会生活全体を覆う,恩義と奉仕の関係としてのパトロキニウムが発展してゆく。とりわけ共和政中期以降,末期にかけては,都市共同体や属州との関係,法廷での弁護を軸とする関係,将軍と兵士の間にみられる軍事的な上下関係などをも指すことになり,有力政治家とくに貴族,その中でも[ノビリス]の政治生活を支える権力基盤となるとともに,法的な諸関係と絡みながら広くローマの地中海支配の支柱となった。帝政期にノビリス支配の衰退とともにその政治的な役割も減少するが,社会的・経済的には,サルタトレスsalutatoresとしてのクリエンテスにみられるように,この関係の日常生活における意義は減ずることなく,古代末期の帝国内の公的な秩序の乱れとともに,再び私的な隷属関係として,とくに農村においてその社会的な意義が増大する。…
【ローマ】より
…とくに前367年のリキニウス=セクスティウス法は重要で,この法によってこれ以後2人のコンスルの1人は必ず平民たることとされ,平民に最高の政務官への道が開かれたのであった。しかし実際にコンスルに就任したのは平民の最上層の家柄に限られ,これ以後は旧来の貴族ではなく,コンスルを出す平民の最上層と貴族から成る名門([ノビリス])という新しい支配層が共和政末期までローマの政治を支配した。前366年には[プラエトル](法務官)という新しい政務官が設置されたが,平民は前337年これへの就任も許された。…
※「ノビリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」