デジタル大辞泉 「権力」の意味・読み・例文・類語
けん‐りょく【権力】
[類語]勢力・威力・権勢・実権・威勢・勢い・猛威・暴威・景気・権威・威厳・威信・
勢力,影響力,説得力などと同様,社会的な〈力〉の一種で,通常,制度化された強制力を意味する。狭義には,国家のもつ強制力,すなわち,政治権力,国家権力と同義に用いられる。他方,最も広義には,権力志向型人間,企業内権力闘争等の表現にみられるように,社会的力と同義に用いられる。
社会関係において作用する力という表象は,自然界における物理的力(重力,磁力,体力),あるいは人間の内面における心理的力(忍耐力,自制力)との類推に基礎をもつ。物理学において最も素朴には,力とは物の形を変えたり,運動の様子を変えたりする原因として定義される。力とは,直接手で触れたり観察したりできるものではなく,力の作用の結果からその存在が想定される一種の分析的構成物である。社会的な力も同様に,社会関係における変化や持続の原因として概念的に再構成されたものにほかならない。M.ウェーバーの定義を借りるならば,社会関係における力Machtとは,〈ある社会的関係の内部で,抵抗を排してまで自己の意志を貫徹するすべての可能性〉である。社会的力も,ある可能性,潜在性として想定されるものであり,客観的・科学的には,力の行使の結果からその存在が推定,認識される概念上の構成物である。
ところが,自然界の場合と異なり,社会関係における力の作用は,まさにこの概念構成を通じて行われる。社会的力は,イメージを構成し,それに応じて行動する主体の存在を前提とする。物理的暴力と呼ばれる場合でも,例外的な場合を除いて,物理的力の行使それ自体によってではなく,この力を認識し,対応する主体を媒介にしてはじめて力が作用する。したがって,社会的力には,観察する第三者が,社会関係における変化から想定する次元とは別に,その社会関係の内部にある主体が,自己あるいは相手方がもつと想定する力のイメージの次元が存在する。ある主体Aが,他の主体Bは力Mをもつと想定し行動する場合には,Aの行為の直接の原因は,Aが抱くBの力イメージMであり,観察者が客観的にBがもつと考える力Mtではない。権力作用の最も直接的原因は,Aの属性であってBの属性ではない。しかもMtはMによる社会的変化を媒介にしてしか観察しえないのである。社会的力の測定が(もし可能であるとしても)きわめて困難で,それゆえ力の概念そのものを社会科学から追放すべきだとの主張がしばしば聞かれるのは,ここに大きな一因がある。社会的力の分析は,ウェーバー的了解を通じてなされる以外になく,行動科学的厳密性をもちえない,といわれるのもそのためである。社会的力の一形態である権力の分析には,以上の困難がつきまとい,その結果権力概念は政治学上最も中心的な概念でありながら,今日に至るまで理論的に十分な厳密性を獲得するに至っていない。権力の実態概念と関係概念をめぐる混乱はその一例であり,この二重構造に由来する。すなわち,権力は社会的主体間の関係を規定するものとして表象され観察・分析の対象とされることもあれば,一つの価値,あるいは手段として追求されたり保持されたりする実態概念としても表象される。この両表象は,実は先の力概念のもつ二元性に基礎をもつものであり,単に一方を誤った観念であるとして片づけることはできない。この両次元の相互作用こそが権力の理解にとって不可欠なのである。
他方,力の一形態としての権力の認識に伴う困難さは,現実政治の上で重要な意味をもつ。それは,権力者にとっても自他の権力の強さを知ることは至難の業であり,往々にして誤った判断に導かれて,過度にその地位を強化しようとして長期的な安定を損なったり,逆に過度の自信からその地位を失ったりするという現象にみられる。このうち現代政治にとってとくに重要な意味をもつのは,権力者が多くの場合,自己の権力の強さを測定できないことからくる不安のゆえに,いっそう安定した支配あるいは抑止を求めて,過度の権力行使,ないし権力集中を試みる場合である。いわゆる全体主義体制における権力支配の病的な形態や,国際政治における軍拡競争の悪循環は,権力が内在的にもつ自己増殖作用の典型例であるが,やはり先の力の認識に伴う困難さに由来しているのである。
社会的な力は,強制,奨励,義務づけ,操作,説得などの方法を通じて作用する。権力はこのうち,強制を最終的担保としてもつ力が,なんらかの制度を通じて比較的継続的にかつ比較的多数の社会的主体に作用する場合をいう。ここで強制とは,価値剝奪(制裁)あるいはその威嚇をもって他者の行動に影響を与えることである(この価値剝奪には,期待される利益の賦与を差し止める場合も含まれよう)。もちろん,権力者は,通常の場合には,奨励(利益誘導)や義務づけ(権威・規範への訴えかけ)あるいは操作(心理的宣伝),説得(合理的議論)などに訴えるかもしれないが,これらの手段に失敗したあと(あるいはこれらの手段に従わない一部の者に対して),最終的手段ultima ratioとして強制力の行使(強権的手段の発動)に訴えることができなければ,これを権力の担い手と呼ぶことは適当ではない。逆に,強制以外の手段を補助手段としてもたず,絶えず強制に依存せざるをえない場合(これをむきだしの権力,あるいは裸の権力という)には,とうていその地位は安定的であるとはいえない。なぜなら,強制は抵抗がむずかしく短期的には最も効率的な手段であるが,不満・反発や抵抗を誘発しやすく,長期的にはコストの高い手段だからである。強制は,剝奪の対象となる価値(安全,自由,財産,収入,社会的名声等)に応じて,物理的強制,経済的強制,社会的強制,宗教的強制などが区別される。そしてこれに対応して,権力は,政治権力,経済権力,社会権力(マス・メディア,大学など),宗教権力などに区別される。逆にいえば,以上の価値を供与する組織が,それに応じた権力を保有しているのである。古来,制裁,強制,権力の語は多くの場合,政治権力の文脈で語られてきた。それはけっして理由のないことではない。なぜなら政治権力こそ,人間にとって最も基本的な価値である安全と自由とを剝奪する潜在性をもつものであり,最も危険でかつ最高の権力形態であると考えられてきたからである。
この文脈で政治権力をめぐる中心的な主題として論じられてきたのは,権力と権威の関係であった。ここで権威authorityとは,ある領域の事柄に関して,無条件の自発的服従の調達を可能にするような正統性の根拠である。個々の命令の当否を判断することなく,命令を発する者に無条件に従うところに,権威関係の特徴がある。医者の命令に従う患者がその一例である。そして,政治的領域における権威が,政治的権威と呼ばれる。政治権力は,通常この政治的権威によって支えられることで初めて制度化し,安定するのである。ここでは,権力と権威が相互に補完的な役割を演ずる。ある政治組織を権威として承認する者と承認しない者との区別に対応して,服従の調達のために権威と権力とがそれぞれ動員される。また,権力は存在それ自体によって権威を獲得し(伝統的正統性),他方,強制の失敗は重大な権威の失墜を生むという形で,権威が権力によって支えられることもある。しかし,強制を基礎とする権力関係と,自発的服従を基礎とする権威関係とが原理的に対立する契機をはらんでいることは否定できない。このため政治の中に,内在的な緊張が持続する。警察,とりわけ政治警察に対する国民の不信はその典型的な表現である。また他方,権威は社会的規範の枠組みの中で成立するものであるから,権力が権威を獲得することは,実は権力の行使に重大な制約が加えられることを含意する。かくて,権威は権力を強化しそれを支えると同時に,それを制限し拘束するのである。
しかし他面で,権威は,すでに述べたように,ある種の判断停止を伴うものであり,しばしば非合理な様相をおびる。権力による強制が,原理的には制裁に対する利害計算を前提とし,それゆえ,合理的判断と正確なコミュニケーションを促進するものであるのとは対照的である。したがって,強制の上に成立した社会のほうが,自発的忠誠としての権威の上に築かれた社会より,自由であるという逆説が成立しうる。事実,われわれは,徴税などに関して〈ただ乗りfree ride〉防止のための強制力の発動を自由と対立するものとはみなさない。逆に,政治教育やプロパガンダなどによる権威の培養こそが,自由への脅威であると受けとめている。このように,権威への傾斜--そして権力からの解放--は,必ずしも人間の自由の促進とは結びつかないのである。
ところで,政治権力,あるいはより一般的に権力は,通常,なんらかの目標を達成するための手段であるとされる。権力のための権力が追求されるのは,むしろ病的な現象とみなされる。そして近代社会の成立に至るまで,政治権力は,社会的地位,経済的富の獲得にとって,不可欠ではないにしても最も重要な一手段であった。いいかえると,政治的エリートは同時に経済的社会的エリートでもあった。ところが,市場経済の発達とともに,政治と経済とが制度的に分離し,経済権力の獲得には,政治権力への接近は必要条件でもなければ,十分条件でもなくなった。しかも同時に,現代では,組織における公私の分化によって,権力と特権とは分離される傾向にある。その結果,今日では,政治権力は一定程度の社会的名声や経済的富を伴いはするが,それ自体ではある程度以上の特権をもたらすものではなくなった。このことは,経済権力や社会権力の場合も同様である。このように,個人的価値追求の手段としての権力の意味は,現代資本主義社会ではむしろ低下しているといってよい。
→権威 →支配
執筆者:大嶽 秀夫
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…出力,工率ともいう。定常的にエネルギーの供給を受けて作動する機械,または機関などが,外部に対し時間的に一定の割合でする仕事を表す量。単位時間内になす仕事で表され,単位はMKS単位でワット,また実用単位で馬力などが用いられる。例えば導体に直流電圧E(V)をかけることにより直流電流J(A)が生ずる場合,この導体の仕事率はEJ(W)で与えられる。また交流電圧E(t)の場合には,それによって生ずる交流電流J(t)を用い,交流電圧の1周期Tにわたる積分で表されるのがふつうである。…
…個人および集団(社会をも含む)が自己の意思にかなう思考や行動のあり方を,他の個人や集団に実現させうる能力のこと。M.ウェーバーの古典的な定義では,この能力が〈Chance〉と表現されている。他者を自分の意思どおりに動かすためには,自己の能力を他者に承認させうるような相互関係,それも自己と他者との互恵・互酬的なものとは限らないような相互関係が成り立っていなければならない。そしてこの関係にもとづき,またはこの関係を形成する過程で,自己の意思にかなう思考や行動のあり方を他者に承認させる。…
…現在の理解では後者を変化させるものは,実は外から働いている力のする仕事にほかならない。Tの変化率dT/dtは力Fのする仕事率,すなわちパワーpowerである。エネルギー
[古典力学における力]
ニュートンの運動方程式が成り立つのはどんな座標系でもよいというわけではなく,慣性の法則の成り立つ慣性座標系に限られる。…
…機械的な仕事をさせるのに直接利用できるエネルギー,もしくはその働きをいう。英語のpowerの訳語と考えられ,一般に,機械を動かすエネルギー(動力源がもたらす発生動力),その機械によって消費されるエネルギー(消費動力,吸収動力)およびそのエネルギーが機械的な形で伝えられること(動力伝達)に対して動力ということばを使うことが多い。しかし,人力も畜力もりっぱな動力(源)であり,その動力を費やすものがいわゆる機械でない場合もある。…
…一つの数,変数,式,または関数を何回か掛けた積を,もとの数,変数,式,関数のべき,あるいは累乗という。x×x,x×x×x,……を,それぞれx2,x3,……で表し,xの2乗,xの3乗,……という。右肩の数字は,何回同じものを掛けたかを表し,これをべき指数と呼ぶ。なお,2乗のことを自乗,または平方,3乗のことを立方ともいう。
[指数法則]
数,変数,式,または関数x,yと自然数m,nについて,次が成り立つ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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