ノーサンバーランド公(読み)ノーサンバーランドこう(その他表記)John Dudley, Duke of Northumberland

改訂新版 世界大百科事典 「ノーサンバーランド公」の意味・わかりやすい解説

ノーサンバーランド公 (ノーサンバーランドこう)
John Dudley, Duke of Northumberland
生没年:1502?-53

イギリス軍人。1538年カレー総督代理,42年スコットランド国境監視官,リール子爵となった。47年サマセット公とともにエドワード6世摂政となり,ウォリック伯。スコットランド軍の撃退に功あり,49年ケットの乱を鎮圧した。51年公爵となり,サマセット公を追い落とし,53年義娘レディ・ジェーン・グレーを王位にかつごうとして失敗,刑死した。
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世界大百科事典(旧版)内のノーサンバーランド公の言及

【エドワード[6世]】より

…しかし,一方では前代に続く教会財産の没収・売却のため土地問題が激化し,またスコットランド戦争,貨幣の悪鋳,インフレの高進などにより社会混乱も増幅した。49年西部にカトリック教徒の反乱,ノーフォークに大農民一揆(ケットの乱)が起こり,サマセット公は失脚,摂政はノーサンバーランド公に代わる。この時代為政者による土地収奪はきわまり,また貨幣改鋳のため輸出も激減する。…

【チューダー朝】より

…この外交上の自立化は同時に宗教上の自立化へと進み,1533年の上訴禁止法によって主権国家の宣言が行われ,ローマ教皇との絶縁,つまり宗教改革を成立させることになった。エドワード6世期になると,まずサマセット公が摂政となり,ついでノーサンバーランド公がその支配をほしいままにして,エドワードの死後自分の息子の妻ジェーン・グレー(ヘンリー7世の曾孫)を女王としたが支持されず,王位はメアリー1世のものとなり,〈九日女王〉ジェーンはロンドン塔で処刑された。このエドワード6世時代にいっそうプロテスタント化した英国国教会がメアリー1世の時代にローマ・カトリックに復帰したこと,さらに彼女がフェリペ2世(1556年からスペイン国王)と結婚したことは,ヘンリー8世以来の主権国家イギリスの進路を逆転させることになった。…

※「ノーサンバーランド公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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