改訂新版 世界大百科事典 「ケットの乱」の意味・わかりやすい解説
ケットの乱 (ケットのらん)
1549年7月エドワード6世期のイギリスでおこった農民一揆。ノーフォーク州のウィンダムでの地方一揆として始まり,やがてロバート・ケットRobert Kett(Ket)(?-1549)の主導のもとでノーフォーク全州とサフォーク州の一部を騒擾(そうじよう)にまきこみ,1万6000人の反徒がノリッジの町を支配した。しかしイタリア人,ドイツ人傭兵を加えたウォリック伯の率いる政府軍によって敗走させられ,ケットら指導者たちは処刑された。この乱は富農層と農村都市小市民の指導のもとに中小農民がおこした農民一揆であり,共有地囲込み反対,高率地代反対,地方官僚批判などを国王に請願したが,報われずして弾圧された。なお,反徒の請願の中に,聖職者の土地所有批判,説教のできない司祭の罷免などがあった。これはドイツ農民戦争における《12ヵ条》要求にいくぶん類似したものであり,この点,反プロテスタント的要求を抱え込んだ〈恩寵の巡礼〉,西部の反乱などの農民一揆と異なっている。
執筆者:栗山 義信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報