ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バントーズ法」の意味・わかりやすい解説
バントーズ法
バントーズほう
Décrets de Ventôse
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…93年3月10日に創設されていた革命裁判所は,同年9月に制定された反革命容疑者法に基づいて大量に投獄された反対派(反革命的な貴族や聖職者,ジロンド派,反革命内乱参加者など)の多数を迅速に断頭台に送った。経済政策としては,民衆の生活を安定させるための価格統制(最高価格法)や食糧の徴発などが励行されたほか,亡命貴族の財産が没収され,同時期には反革命容疑者の財産を没収する法律(バントーズ法)さえもが可決された。同時期に,山岳派内部に分派闘争が生じて,ロベスピエール派が左翼のエベール派と右翼のダントン派を処刑し,恐怖政治は最高潮に達したが,同年7月27日(テルミドール9日)にロベスピエールが失脚,恐怖政治は終りを告げた。…
…このときから1年後の死に至るまで,彼はロベスピエールの片腕として,革命的独裁の樹立による強力な諸施策の遂行と祖国の防衛とのために全力を傾けた。すなわち,彼は93年10月に,憲法の実施を延期して非常大権を公安委員会に集中する革命政府の樹立を提案して可決させ,同年末から翌年にかけてライン軍および北部軍に派遣されて戦局の立て直しに努め,94年春には反革命派の財産を没収して貧しい愛国者に分配するというバントーズ法décrets de ventôseを提案して可決させた。しかし,やがて山岳派内部の分派の争いが深刻化し,彼は94年テルミドール9日にロベスピエールらとともに逮捕され,翌日処刑された。…
…そこで山岳派は,93年7月に領主制を完全に無償で廃止したが,民衆や農民の反資本主義的な要求を認めることはできず,これとブルジョアジーの利害とを調整するために,臨時の措置として一連の社会政策を実施した。すなわち,山岳派は生活必需品の〈最高価格制〉,物資の買占めの禁止,食糧の強制的出荷命令(徴発)など経済統制を実施して民生の安定を図り,さらに94年春,ロベスピエール派は反革命容疑者の財産を没収して貧しい愛国者に分配するという〈バントーズ法〉さえをも提示した。しかし,こうした社会政策はブルジョアジーの離反を招き,山岳派内部にも分裂をもたらした。…
※「バントーズ法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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