日本大百科全書(ニッポニカ) 「バール・ソーマ」の意味・わかりやすい解説
バール・ソーマ
ばーるそーま
Bar Sauma
(?―1294)
トルコ系オングート人でネストリウス派キリスト教の聖職者。元朝の大都(北京(ペキン))で生まれた。1275年ごろエルサレム巡礼を企て、中央アジアを経てイル・ハン国に達した。そこでネストリウス派総大司教の便宜を受け、メソポタミア各地の聖賢物に詣(もう)でた。エルサレムには行けず、1279年には帰国の途についたが、中央アジアの治安が悪化しており、また引き返した。のち1287年、イル・ハン国君主アルグン・ハンArghūn-Khan(在位1284~1291)から使節として西ヨーロッパに派遣され、即位前のローマ教皇ニコラウス4世Nicolaus Ⅳ(在位1288~1292)のほか、フランス、イギリス両国の国王にも会い、1288年に戻った。バール・ソーマが教皇に聖職者の元朝派遣を勧めたことが契機となり、まもなくモンテ・コルビノが派遣された。
[海老澤哲雄 2018年2月16日]
『バッヂ著、佐伯好郎訳・補『景教僧の旅行誌』(1932・待漏書院)』