書院(読み)ショイン

デジタル大辞泉 「書院」の意味・読み・例文・類語

しょ‐いん〔‐ヰン〕【書院】

《中国で、昔、講学所のこと》
つけ書院
書斎。もとは寺院の僧侶の私室をいい、室町時代以降、武家・公家の邸の居間兼書斎の称となった。
書院造りにした座敷。武家では儀式や接客に用いた。位置によって表書院奥書院、構造によって黒書院白書院などの名がある。
中国の唐代、役所に付属した書庫、また、書籍編纂所。
中国の宋代以降に発達した私立学校。
出版社。書店。

しょ‐えん〔‐ヱン〕【書院】

しょいん(書院)

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精選版 日本国語大辞典 「書院」の意味・読み・例文・類語

しょ‐いん‥ヰン【書院】

  1. 〘 名詞 〙 ( 書を集め学を講ずる所の意 )
  2. 中国、唐代、朝廷の書籍の編纂、収集にあたった場所。
  3. 宋代以降発展した私学。元代には官立のものもあるが、宋初に白鹿洞書院を復興した朱熹や、明代の陽明学派など、在野の立場で講学にあたるものが多かった。
  4. 日本で、寺院や武家の邸宅の居間兼書斎。書堂。書閣。学問所。
    1. [初出の実例]「卒于慈恩寺西書院」(出典:日本文徳天皇実録‐仁寿二年(852)二月乙巳)
    2. 「鎌倉時代より禅法はやり、武家禅家を好み、常々座禅などする事有し故、寺方の如く書院を立られし也」(出典:随筆・貞丈雑記(1784頃)一四)
  5. 縁側に張り出して造り、前に明障子を立て、甲板上に文机の作りつけになったもの。書院の間に必ず設けられたので、この名がついたと考えられる。書物、硯(すずり)などを置く。書院棚。書院床。書院がまえ。付書院
    1. 書院<b>④</b>〈慕帰絵〉
      書院〈慕帰絵〉
    2. [初出の実例]「次に御座敷あり。西むきに床有。床のうへに書院あり」(出典:御飾記(1523))
    3. 「書院(ショヰン)の上に『いにしへは』といふ五文字を女筆にて書きたる額あり」(出典:浮世草子・好色万金丹(1694)五)
  6. 書院造りの座敷。多く武家で、儀式や客の応対などに用いた。その位置によって表書院、奥書院、その構造によって黒書院、白書院などの名がある。表座敷。客殿。客間。
    1. [初出の実例]「御振舞、書院也、御茶数寄屋にて」(出典:宗湛日記‐天正一五年(1587)一月一八日)
  7. 書店。出版社。

書院の補助注記

「ショイ(ヰ)ン」と読むのは慣用音によるもので、「ショエ(ヱ)ン」が伝統的な音読みであるが、漢字表記の例は便宜本項に収めた。


しょ‐えん‥ヱン【書院】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「えん」は「院」の正音、「いん」は慣用音 ) =しょいん(書院)〔文明本節用集(室町中)〕
    1. [初出の実例]「茶過てのち、しょゑんにてゆるゆると御あそびなさるる所に」(出典:咄本・昨日は今日の物語(1614‐24頃)上)

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改訂新版 世界大百科事典 「書院」の意味・わかりやすい解説

書院 (しょいん)

中国,近世の教育研究機関。宋以後,士大夫階級の勃興とともに,教育研究に対する要求が強まり,官学に対する私立の学校として,個人の手で書院がつくられた。とくに南宋におこった朱子学は書院の盛行を促し,朱熹(子)の復興した白鹿洞書院をはじめ各地の書院で,朱子学の講義と研究が行われるようになった。さらに明代の陽明学では,人間は良知をもつものとして平等だと考えられたため,ときに庶民も参加して,書院における講義と自由活発な討論が行われた。これを講学という。学問は本来的にこのような講学を要請するものとされたのであって,書院制度は,中国近世の思想史の展開と不可分に成立発展したといってよい。書院のなかには,東林書院(東林党)のように,中央・地方の政局に大きな影響を及ぼしたものもある。書院に対する弾圧もしばしば行われた。清朝では,書院は学問的なもの以外,弾圧され,官学化の傾向を強めた。
執筆者:

李朝時代の在郷私立儒学教育施設。高麗末の私設の書斎に起源があるが,のちこれに道学書院(先賢を祭る)と忠節書院(先烈を祭る)の別が生じた。1542年周世鵬(1495-1554)が朱子の白鹿洞書院にならって,高麗の朱子学者安裕をそのゆかりの地慶尚道の順興に祭って立廟,白雲洞書院と命名した。50年李退渓の上書によりこれに〈紹修書院〉と賜額,書籍・田土等が下賜された。これが賜額書院の最初である。以後大小の書院が全国各地に簇生(そうせい)し,18世紀初葉には593(当時の郡県数は329)に達し,郷校に代わって学問・道徳実践の修行と先賢および先烈の崇徳報功の教育・教化の場として国民教育上重要な役割を果たした。礼安の陶山書院(李退渓),海州の紹賢書院李栗谷)が著名。しかし反面,所属の儒生や書院の奴婢となって軍役を避ける者の淵叢となり,かつ朋党に加担して横議をこととし,しかもいたずらに濫設するなど弊害が続出し,1644年以後数次にわたり禁令を発したが効果は上がらず,ついに大院君政権下の1871年には47書院(うち祠20)を残し撤享撤額した。日本統治期には〈祠宇ト同ジク単ニ先賢ノ享祀ヲ行フ公認ノ斎場〉とされたが,在郷指導層に対する教育教化の機能は看過しえない。
執筆者:

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普及版 字通 「書院」の読み・字形・画数・意味

【書院】しよいん(ゐん)

蔵書・講学のところ。〔唐書、芸文志序〕京師るにび、書を東宮麗正殿にす。~其の後、大宮光順門外、東門外に、皆集賢書院を創(つく)り、學士じて出入す。

字通「書」の項目を見る

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「書院」の意味・わかりやすい解説

書院
しょいん

中国唐代には役所に付属した書庫、書籍編纂(へんさん)所をいったが、宋(そう)代になると朱子学を教えた白鹿洞(はくろくどう)書院のような私立学校の意となり、以後、官学に対する私立の学校として発展した。わが国では中国とは意を異にして建築用語として用い、一般に床脇(とこわき)に接して文房具類を置く低い棚を書院という。書院には外側に一段張り出す付(つけ)書院と、床脇に棚がつかずに、中敷居を入れ明(あかり)障子を立てるだけの平(ひら)書院とがある。平書院は付書院を簡素化したものである。本来、付書院は、書斎に造り付けられた机である出文机(だしふづくえ)から発展したもので、書見や執筆のためのものであったが、文房具類を置く棚として座敷飾り化したのである。したがって、床(とこ)・違い棚・書院の備わった座敷も書院とよばれるようになり、さらに、整備されたこのような座敷のある建物も書院の名で総称される。二条城白書院、同黒書院、桂(かつら)離宮古書院、同中書院はこの例である。

[工藤圭章]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書院」の意味・わかりやすい解説

書院
しょいん
shu-yuan; sǒ-wǒn

中国で宋以後,朝鮮で朝鮮王朝 (李朝) 中期から普及した私学機関。書院制は中国の唐の玄宗のとき,麗正殿書院,集賢院書院をおいたことに起源する。内外の名賢を祭祀する祠と,青少年を集めて人材を養成する斎から成る。宋代に入ってから私学として栄え,のち清末にいたりことごとく整理された。朝鮮では,中宗 37 (1542) 年周世鵬が高麗の儒者安きょうを祭祀するために祠堂を建て,翌年白雲洞書院を建てたのが始りで,その後荒廃しつつある郷校に代って国家の補助を受ける書院が地方の有力者によって各地に数多く建てられ,儒学振興の温床となった。しかし免税などの特権に伴って次第に本来の目的である講学修道からはずれ,有力者の自己勢力扶植の場と化して濫設されたため,高宗1 (1864) 年の大院君の執政のとき,47個の書院以外はすべて撤廃させられた。

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百科事典マイペディア 「書院」の意味・わかりやすい解説

書院【しょいん】

中国,唐代以来の用語で,書庫,書斎の意。日本では鎌倉時代に書見し,あるいは学を講ずる場所をさしたが,のち客を応接する対面所をいうようになった。床(とこ),棚,付書院をもつ。付書院は床の間脇に張り出した窓のある場所で,棚板を机として用いることができる。→書院造
→関連項目如庵書院紙床の間飛雲閣

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旺文社世界史事典 三訂版 「書院」の解説

書院
しょいん

中国では宋以後,朝鮮では高麗 (こうらい) 以後に発展した私学。書堂・学館・精舎ともいう
【中国】唐代には役所に付属する書庫,書籍編纂所のこと。五代の宋初期に始まり,南唐の白鹿洞 (はくろくどう) 書院が最古。宋初期にはこれに嵩陽 (すうよう) (河南)・応天 (おうてん) (同)・嶽麓 (がくろく) (湖南)を加えて四書院という。南宋では宋学の発展とともに栄え,元では官学化し,明では陽明学が書院で育成されたので,反政府的傾向を帯びた。清では政府が統制したので,在野的性格を失った。
【朝鮮】高麗に始まり,李朝では書院のない邑がないほどであったが,大院君の弾圧で衰退した。

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リフォーム用語集 「書院」の解説

書院

床の間の外部に面する側につける出窓のこと。元来、その場所を文章を書いたり書物を読んだりする空間とした為、形式的に呼び名が残った。また書斎として用いられる部屋、建物のことを指す場合もある。

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世界大百科事典(旧版)内の書院の言及

【書院造】より

…平安時代の貴族の住宅形式であった寝殿造を母胎とし,中世における生活様式の変化のなかで,日常の生活機能を充足するために変容と改良が加えられた。室町時代初期ごろ,座敷飾の諸要素(押板(おしいた),棚,付(つけ)書院)が出そろい,同時代中期の応仁の乱前後の時期に盛行した会所(かいしよ)座敷の飾りに,押板,棚,付書院を組み合わせて装置し,置物を飾る風習が成立した。この座敷飾は中世末までに会所の枠をこえて住宅の主座敷を飾る方式として定着した。…

【禅宗美術】より

…たとえば鎌倉円覚寺の舎利殿にみられる瀟洒(しようしや)な大陸文化の結晶が明確な様式として確立し,これが簡素化して禅的空間ともいうべきものへ発展する。従来の寝殿造は書院造となり,浄土を再現した回遊庭園は自然を象徴した観念的小庭園へと凝縮する。生活空間としては床の間(室町時代には押板と呼称),書院,飾棚が成立し,石庭へとつながっていく。…

【床の間】より

…奥壁の上部の天井廻縁(てんじようまわりぶち)に折釘(おれくぎ)を打ち,1幅から4,5幅が対になった軸装の書画を掛けられるようにする。床板の上には香炉,花瓶,燭台からなる三具足(みつぐそく)を置き,床の間の両隣には書院と違棚(ちがいだな)を設けるのが正式である。このような書院造の床の間に対して,茶室や数寄屋にも書画を飾る床の間が設けられるが,この場合は形式はかなり自由に扱われ,樹皮のついた床柱や形の変わった床柱が使われ,内部を壁で塗りまわした室床(むろどこ)や洞床(ほらどこ),落掛から床の上部だけを釣った釣床(つりどこ),入込みにならず壁面の上部に軸掛けの幕板を張っただけの織部床(おりべどこ)など,多様な形式のものがある。…

※「書院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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