改訂新版 世界大百科事典 「パッサロビツ条約」の意味・わかりやすい解説
パッサロビツ条約 (パッサロビツじょうやく)
オーストリア・トルコ戦争(1716-18)におけるオスマン帝国とオーストリアおよびベネチアの間の講和条約。イギリスとオランダが仲裁国となり,1718年にセルビアのパッサロビツPassarowitz(現,ポジャレバツPožarevac)で締結された。ベオグラード攻略に成功したオーストリア・ベネチア側はこの条約によって,オーストリアはオルテニア(ワラキア西部),バナト,ティミショアラ地方,ボスニア北部とセルビアの一部を,ベネチアは占領地域のモレア半島とエーゲ海の島々,アルバニアとダルマツィアの沿岸地域の一部を領有したが,とりわけオーストリアの南方への領土拡大が目だった(ただしセルビア,オルテニア領有は1739年まで)。オーストリアはオスマン帝国領内の自由な商業権,オスマン帝国領内のカトリック教徒の保護権を獲得して,東ヨーロッパの絶対主義国家としての地歩を固めた。なおこの条約締結の会議でオスマン帝国に対するオーストリア,ベネチア,ポーランドの神聖同盟の存続が確認された。
執筆者:萩原 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報