改訂新版 世界大百科事典 「ヒルデリヒ3世」の意味・わかりやすい解説
ヒルデリヒ[3世]
Childerich Ⅲ
生没年:?-754
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…小ピピンPippin der Jüngere,またピピン短軀王Pippin der Kurzeとも呼ばれる。メロビング家の宮宰(741‐751),次いで教皇ザカリアスの意をうけ,ヒルデリヒ3世を追い,〈真にその実力ある〉フランク王としてボニファティウスから塗油を受けた(752。カロリング朝の始まり)。…
…5世紀末から8世紀中期までのフランク王国の王朝(図)。クロディオ,メロビスおよびヒルデリヒ(シルデリック)の3世代の小王の時代に,サリ系のフランクの一支族がマース,シェルデ両河間からソンム川河畔に,ローマの同盟者として進出した。5世紀後半,フランク諸部族はシュタム(部族国家)ではなく,ガロ・ロマン的都市をもとに小国家群を形成した。…
※「ヒルデリヒ3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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